ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

成績処理って言わないように

※「成績」をテーマにCopilotに絵を描いてもらいました。

3月は成績をつける時期です。

そんな時期に職員室で飛び交うワードが「成績処理」という言葉。当たり前に使っているケースが多いけど、「処理」っていうべきことなのだろうか、成績をつけるということは。

評価と評定は違うけど

観点別評価になってくり返し言われていることであるけど、評価と評定は違う。「成績処理」ということばは主に「評定をつける」ことに言われているとは思う。

ただ、評価の実態を見ていると「成績処理=評価すること」という解釈になっているケースも少なからず見られるように思う。つまり、評価自体がもう事務的で、形骸化した、処理すべき厄介な雑務……そんなニュアンスを感じ取るのである。

アイキャッチの「成績」をテーマにCopilotに描いてもらった絵の子どもたちが冷や汗をかき、嫌そうな表情をしているのは象徴的かもしれない。評価されることが、嫌なこと、意外なこと、重圧を感じることであるというのが、ある意味で一般的なイメージになっているのかもしれない。

本当は評価を起点として、もっと学びに対するモチベーションが高まるようなものであるべきではないかと思うのである。

しかし、実際はそうなっていない。

なかなかこの乖離を埋めていくのは厳しいかもしれない。

せめて言葉を換える

なかなか色々な実態を考えると、理想通りの評価は難しいかもしれない。

自分一人だけの問題ではなく、タテヨコの関係でつながっているケースも多いので、自分の勇み足がかえって子どもたちに損をさせる可能性はある。

ただ、そういう中でも使う言葉くらい変えてみてもいいのではないかと思う。

「成績処理」と当たり前にくり返している限り、おそらく評価と言うことは事務作業以上の意味をもたないのだろう。

じゃあ、他にどのような言葉良いのかと言われると……特によいアイデアはない。せめて、「成績をつける」「評価する」などの言い方をして、「評価」というものに向き合っていることは忘れないようにした方がよいだろうと思う。

少なくとも「処理」というニュアンスはもう避けていきたいなぁと思うのである。

 

 

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