教育新聞のこんな記事を見た。
基本的に「評価」がしっかりとしていかなければ、授業が効果的に行われることも難しいし、授業を改善していくことも難しい。
その意味では授業と評価は切っても切り離せないし、少なくとも考査の点数だけで生徒を値踏みするような評価の付け方では不十分なのである。
とはいっても、今の観点別評価の運用は、本文にもあるように特に「主体的に学習に取り組む態度」の内容がやはり苦戦の原因のような印象はある。
そして、なんでもかんでも振り返りというやり方が、かえって貧困な授業を引き起こしてしまっているような気もする。
子どもの姿を見ること
一方で、むやみやたらに観点別評価を批判している人たちの様子を見ていると、テストの点数だけで評価をつければよい、授業で何か取り組ませる必要なんて無いと思っている人が多そうな気はしている。
テストをやらせることが、客観的で、努力も能力もすべて測れるという無邪気な楽観…。ここまで悪口を言わなくても、手間がかからなくて望ましいという思いはありそうな気はする。
実際、子どもたちの学びの過程や成果物に現れたものを見取っていくことは手間がかかる。一人一人のことを理解しようと努めていく手間がどうしてもかかるのだ。
それが労働量として適切な範囲になるかは難しいところだ。どうしても、時間がかかるのである。
ただ、教える立場にあるのであれば、子どもの変化すること、成長する姿には丁寧に時間を使いたいという気持ちもある。でも、そういう気持ちが必ずしも普遍的ではないのだろうなという気もしている。
一つ一つを丁寧に
理想通りの評価も授業もおそらく色々な条件があるから行えないだろう。正直、自分だって300人近く教える年もあり、そういう時は本当に一人一人を見取っているのかは、もはや検証が出来ない。
でも、一つ一つの活動の中で生徒がどのようなことを考えているかを、丁寧に考えていきたいですね。