ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

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【書評】苫野一徳『子どもの頃から哲学者』は誰でも哲学に触れられる!

以前、『公教育をイチから考えよう』の著者の一人として紹介した苫野一徳先生のご著書です。 

s-locarno.hatenablog.com 

苫野先生の本は『公教育をイチから考えよう』に限らず、どの本も平易な語り口ながら、非常に意味が深く、読みやすい本だと思っています。たとえば 

教育の力 (講談社現代新書)

教育の力 (講談社現代新書)

 

この本は、『公教育をイチから考えよう』の中でも述べられている内容を丁寧に論じている本でありますが、新書ということもあり、教育関係者でなくてもわかりやすく、子どもたちにも読んで、教育を自分たちのものだと理解してもらいたいと思う一冊です。

でも今回紹介する『子どもの頃から哲学者』は、苫野先生のエッセイと言ってしまうのが惜しいような、半生記、哲学書、自己啓発本、福音書!?とも言うべき一冊でした。 

子どもの頃から哲学者 ~世界一おもしろい、哲学を使った「絶望からの脱出」!

子どもの頃から哲学者 ~世界一おもしろい、哲学を使った「絶望からの脱出」!

 

 ちょっとだけ、内容を紹介するのでよかったら学級文庫にぜひ(笑)

 第一章 教祖さまになる

「続きをよむ」でこのページのこのタイトルを読んだ方、どうか、ページ離脱しないで(笑)

だって仕方ないでしょう!?本当に本書の中でいきなりプロローグが終わったら、第一章が「教祖さまになる」から始まっているんだから!!

しかも恐るべきは、「比喩」的な意味での「教祖さま」ではなく、文字通り、辞書的な意味での「教祖さま」になったというあたりが恐ろしいのである。

というか、この第一章の前の「プロローグ」の段階で「便所飯のパイオニア」という項目がいきなりあったり、「ニーチェはなかなかいいセン行ってるな」とか大きないっていたりと、色々と刺激的なんです。

こんなタイトルをつけるような経験って、皆さましたことあるでしょうか。自分にはあまりありません。

どうして、このようなことになったかといえば、本書を自分なりに解釈して言えば、「人とは違うということに対する根源的な違和感」を解消する方法が分からないで、繊細に膨れ上がってしまったことにあるように見える。

人とは違うという感覚…それは、誰しも自分に対して抱いている心情であろう。だからこそ、自分の身に降りかかる理不尽や自分の身がぞんざいに扱われることに対して怒りを覚えるのであるし、根拠のない自信によっていろいろと痛い目に遭うこともある。

ほら、多くの高校生だった人たちは、中島敦の「山月記」を読んで、主人公の李徴に共感を覚え、そして、諦めと侮蔑を覚えて卒業していくでしょう? 

李陵・山月記 (新潮文庫)

李陵・山月記 (新潮文庫)

 

そこで、普通の人は「人とは違う」という「尊大な羞恥心」はなりをひそめていくように思う。

だから、そのような「人とは違う」「特別だ」という感情は、大なり小なり「学校」を通して、折り合いをつけることを覚えさせられ、落ち着きを見せていくものである。

しかし、一方で、この本の主人公(あえて、主人公いう)のように、「人とは違う」ということに対しての疑いや違和感がぬぐえないことを無視できずに、徹底しきると、途端に世の中は生き辛くなるし、見なくてもいいものを見つめていないといられなくなる。

生き辛さは解消できるか

この生き辛さは、非常に根源的で生得的なものであるように感じる。ある意味、気づかないなら、気づかないままに素通りできるようなもの思いだからだ。

気づいてしまったことは不幸なことか、それは、答えようがない。

しかし、気づいてしまう人が一定数以上はいる以上、そのたちの生き辛さに対する処方箋はあって欲しいものだ。

この『子どもの頃から哲学者』が、副題に「絶望からの脱出」を謳っているのは、まさにこの生き辛さに対する処方箋として「哲学」があることを示しているように見える。

この本が、色物のトンデモ本ではなく、哲学書(福音書か?(笑))として成り立つのは、この「人とは違う」という根源的な違和感から始まる七転八倒が非常に大きな意味のあることだからだ。

つまり、この「人とは分かり合えない」ということに対する苦しさとどう向き合うのかということの一つの可能性として、哲学の可能性を示しているのである。

デカルトやニーチェ、そしてヘーゲルと大御所とでも呼ぶべき哲学者たちの思想と、ある意味素朴に、そして生得的に感じることになる「人とは違う」という違和感がどのようにつながっていくのかということが示されているのである。

だからこそ、この一冊は、幅広く読まれて、共感されうるのだと思う。誰にでも、「人とは違う」ということは、意識しなくても、違和感として残り続けていることなのだから。

難しく考えなくていい

話が小難しくなってきたので、ぼろが出る前にやめておく。

難しく考える必要はない、苫野先生のご著書の例にもれず、この本も、平易でわかりやすい。それでいて、強烈な問題意識と根源的な問いがあるから、難しい言葉を使わなくても、意味は伝わる。

だから、何度でも読み返すことができる本であるだろうし、誰でも読むことができる本である。

秋の夜長のおともに、ぜひ。

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