ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

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自分の立ち位置の確認

Young & Active

昨日の疲れがあまり抜けません。気疲れなのか暑さにやられたのか人に酔ったのか…。

そんな状況のせいか余計なことをTwitterで口走りました。

その結果、思ったことが「単元学習」から離れしまっているなぁということです。

ま、単元学習が何か分かるほどに単元学習をさっぱり勉強していませんけど。

なぜ、こんなことを思うようになったのでしょう?

自分自身が自由でありたい

とても「自由でありたい」と言い出すと、生意気に聞こえてしまうのだけど自分自身の信条として「自由である」ということを捨てられない。

それは生徒時代に上手に教員の機嫌を窺って生活してきたという経験が、いまだに違和感とともにつまらないものであったという思いがあるからだ。教員をギリギリまで挑発したり逆に気持ちよくおだてて見せたりしていたけど、そんな嫌な生徒であることにうんざりした気持ちがあった。

だからこそ、自分が教員になってしまっている今、自由であることを生徒に保障したいのです。 

どのような教育が「よい」教育か (講談社選書メチエ)

どのような教育が「よい」教育か (講談社選書メチエ)

 
「自由」はいかに可能か 社会構想のための哲学 (NHKブックス)

「自由」はいかに可能か 社会構想のための哲学 (NHKブックス)

 

だからこそ、これらの苫野一徳先生の本は自分にとっては非常に大きな影響があった。

自分の原点はやっぱり「自由」にあるし、生徒には自由であってもらいたい。

生徒には冗談めかして「君たちは自由に勉強できれば楽しいよね!そして俺は何もしないで給料もらえて幸せ!winwinだね!」なんて言ったりしますが、一緒に勉強していたいのですよ。その時々にしかできないことをやりたいのです。

アクティブラーニングにこだわる?

このブログをご覧の方はしょっちゅうアクティブラーニング、アクティブラーニングと私が言っているように思うかもしれません。

自分が影響を受けているのは間違いなく京都大学の溝上慎一先生です。 

www.s-locarno.com

www.s-locarno.com

www.s-locarno.com

www.s-locarno.com

昨日の国語教育学会だと全然参考文献に名前が挙がっていないところを見ると、教科教育からは遠いのかなぁ……?

しかし、そのアクティブラーニングの定義が自分には一番、しっくりくるんだけどなぁ。 

一方向的な知識伝達型講義を聴くという(受動的)学習を乗り越える意味での、あらゆる能動的な学習のこと。能動的な学習には、書く・話す・発表するなどの活動への関与と、そこで生じる認知的プロセスの外化を伴う。溝上(2014)など 

アクティブラーニングと教授学習パラダイムの転換

アクティブラーニングと教授学習パラダイムの転換

 

この定義のポイントは「一方向的な知識伝達型講義」をベースにすることを乗り越えなければいけないことをはっきりしていることと、その活動の方法に「認知プロセスの外化」が必須であるということである。

この定義の背景は、まあ、上の書籍を読んでもらうとして、結局、この定義に従うのであれば、「主体的」や「協働的」でしかありえないということになる。

その上で「深い学び」をどうやって実現するかを教員が考えるという発想の仕方や、型を離れてカリキュラム・マネジメントの重要性を理解していくことにもつながる。

やっぱりここだよなぁ……

どうやら遠くまで来てしまっています

守破離もろくにできていないのに、どうも国語の本道から離れている印象です。

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