ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

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【書評】アクティブ・ラーニングで国語の授業を作る?

考えがまとまりきらないので手短に。先日発売になった、筑波大附属小学校の先生方が中心となって編集している国語科教育関係のアクティブ・ラーニングの本が出ました。 

子どもと創るアクティブ・ラーニングの国語授業

子どもと創るアクティブ・ラーニングの国語授業

 

 ある程度、目を通し終わったので、感想と思ったことを忘備録的に。

「子どもの側から」という発想が貫かれる 

本書のテーマはタイトルと帯に書かれているように「子ども」の立場から、授業を考えていくことであり、『アクティブ・ラーニングを位置づけた中学校国語科の授業プラン』の中で、吉川芳則が「子どもに授業を返す」と表現したような内容と発想は共通している。

すなわち、「アクティブ・ラーニング」という大きな看板に基づいて、今までの授業の方法について、より子どもを中心に据えたものとして研鑽していこうという発想で書かれている本である。

本書の内容については、筑波大学付属小の先生方の座談会「アクティブラーニング*1の国語授業とは」と、実践に関する論考と、研究者からの提言というような三部構成になっている。

小学校の実践者の視点から語られる授業論であるため、非常に、子どもに問いを持たせようとすることやどのように子どもの思考を動かしていくのかということについて、丁寧な議論が行われている。

つい、生徒の理解力の高さや従順さにかまけて、丁寧に単元を作ることや、子どもの感情や思考をたどることをおろそかにしがちな中等教育の教員の自分からすれば、工夫の多さや丁寧さは非常に勉強になる。

「言語活動」としての国語科の学習活動を現在提言されているものから、より一層、研鑽していくことや子どもの主体性を引き出していくという観点からすると、学ぶべきところが多い一冊である。

個人的なつぶやき~アクティブ・ラーニングとの関係で~

上述の観点からすれば、非常に丁寧に書かれているし、様々な観点から書かれているので勉強になるのだが、アクティブ・ラーニングという看板を掲げていることに、うまく言えないのだが、疑問を感じている自分がいる。

昼間に本書を読みながらツイート(誤字が多いのはスマホが悪い)してみたのだけれども、たぶん、自分が違和感を感じているのは、「言語活動」と言えばいいだけの内容をアクティブ・ラーニングという看板を掲げているところだろう。

アクティブ・ラーニングという語は「操作的に定義された語」(溝上慎一:『ディープ・アクティブラーニング』)であるので、自分の思っているものと本書が想定しているものに差があるのかもしれない。

ただ、文科省の答申に照らし合わせても、学術ベース(といっても、溝上慎一先生などの京都大学周辺の本やBonwell&Eison(1991)くらいしかきちんと読みきれてはいませんが…)と照らしても、本書で射程にしている範囲が「教科」であって、「出口」(社会につながる)まで含むようなものではないという印象が否定できないからだ。

もちろん、本書が初等教育を狙ったものであるので、中等教育ほど「出口」についての優先度は下がるのだろう。そのため、そのこと自体を批判するのは、妥当かは怪しい。

ただ、アクティブ・ラーニングという看板を掲げるのであれば、教科の内向きだけに伝わるような言葉や初等教育内での問題意識のみだけではない観点でのスパンの長い議論が必要なのではないかと思うのです*2

もっと端的にいうならば、非常に良書なのだけれども、小学校のように「国語科以外」が専門の先生が、本書を読んで、本書を意図することや学力の指すものを理解して、成立させられるのかが疑問なのです。

専門性という観点はもちろんある程度は成り立つが、一方で、資質・能力をつける、トランジション課題の解決という観点から言えば、「国語の専門家」しかできないようなことが、本当にトランジション課題の解決に必要なのかが、個人的にはすっきりと理解できないというか、わかっていない。

そんなわけで、よくわからないので、今後、勉強します。

*1:原文ママ。本書の中の論じ方は文科省の定義によって話していることを考えれば「アクティブ・ラーニング」のほうが適切かと思う。

*2:いわゆる、汎用的な資質・能力についての議論なのか?『資質・能力[理論編] (国研ライブラリー)』など参照。ただ、そうなると、教科固有の資質・能力がなにかという問題が…。もう少し、勉強します。

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