完全に自己満足を記すための雑記です。
今まで二学期のライティングワークショップの生徒作品の業者製本の入稿がやっと終了しました!
校閲作業がかなり大変でした…
成果が形に残ることがうれしい
今回の授業のように、生徒の作品を業者に依頼して冊子にするのは初めて。
理由としては、今までは冊子にするほどまとまった量の文章を書かせてこなかったからということが大きい。
思えば、「製本するよ」と言ってライティングワークショップを始めたこともあって、生徒もこの製本化に向けてかなり意欲的に作業していたように思う。
やっぱり、物が残るということやその作品が誰かに読まれるという文脈ができると、生徒の取り組みの本気度が全然違うということかなぁと思う。
今年は「羅生門」の授業のまとめとして「書評」を書かせて、それを冊子にして配布したのだけど、あくまでそれは仲間内での交流のための仕掛けだった。
しかし、今回は、初めから色々な人の目に触れてもらうということを前提にして書いてもらっている。この差は大きかったようで、やっぱり「自分が書いたものに対する感想」に対して子どもたちが渇望しているように感じられた。
自分一人で授業をしていると、自分の感想しか生徒に返せないからね……。
こうやって形になることによって、教えているクラス以外の生徒の目にも触れる可能性が高くなるし、家に持って帰れば家族が読んでくれる可能性も高い。印刷室でちゃちゃっと作った頼りない製本とは違って、業者の製本となると、「本物」と同じ感触があるだろう。
全員は載せられなかった…
これは自分の懺悔である。
今回の冊子は、全員の文章を載せられなかった。理由は単純で、締め切りを守って提出してもらえなかったからだ。一応、一週間ほど訴追はしているんだけど、それでも出さないところを見ると、授業に対して反発された……ということだろう。
結局、最後まで仕上げられない生徒が出てしまったことは、自分の授業の問題である。
書き上げて出版することの意味を強調して、個別のカンファレンスも続けてきたのだが……結局、形に残すことの意味が大きいと思っているのに、最後の最後までたどり着かせることができなかった生徒がいることは…許されないかもしれない。
自腹を切ったのはよくないと思っている
今回の冊子は自腹を切っての作成だ。2万円くらいの話なので、大したことではないのだけど、それでも、授業をやるためのお金を自腹を切ることはよくないとは感じている。
今回は、自分がどうしても形にしたいと思っていたから、お金を手に入れるめどが立たなかったので自腹を切ったけれども、こんなことを繰り返していたら自分の生活が持たなくなってしまう。
本当に生徒に必要だと思うことにお金がかかるのであれば、お金は自腹を切るべきではない。ま……私学だとどこから金を引っ張ってこられるのかが不明であるけど…。
仕方ないので今回は自腹を切りましたが、同僚からカンパしてもらおうと画策中(笑)
色々な人に手に取ってほしい
せっかく、お金をかけて作ったものであるだけに、色々な人に見てもらいたいと思う。
冊子が来たら、図書室にお願いしたら、貸出できる形でしばらく置いてもらえないかな?
他の授業でも見本として使ってもらえれば、学校全体の授業が活性化できそうでいいなぁ…。
夢が膨らむ製本という作業でした。来年、何かをやるなら、あらかじめ教材費を相談してみようかなぁ。