世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書)
- 作者: 山口周
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2017/07/19
- メディア: 新書
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本格仕事復帰のための第一弾。軽めの書評にお付き合いください。
何で買ったのかよく覚えていない(笑)けど、なぜか書棚にあったので読んでみました。
そうしたらなかなか興味深くてあっという間に読めました。全然エリート関係ない生活をしていますが、これからの教育を考えるのにも面白い観点がいくつもありました。
合理性だけに陥ることからの脱却を目指して
本書はビジネスにおける「美意識」や「アート」の必要性を述べたものである。これだけ複雑になり、先の見えなくなってしまっている世界において、明晰さと単純さをごり押しする合理性重視の態度が通用しなくなっていることを分かりやすく論じている。
例えば、日本の一流企業が信じられないような不祥事を引き起こし、倫理的にグレーである行為を糾弾されるまで平気で実行できてしまうことを例に挙げ、それらに対して「真善美」のような「美意識」を問われてこなかったことによるものだと指摘する。
その上で「エリート」像についてこんな記述がある。
大きな権力を持ち、他者の人生を左右する影響力を持つのがエリートです。そういう立場にある人物であるからこそ、「美意識に基づいた自己規範」を身につける必要がある。なぜなら、そのような影響力のある人物こそ、「法律的にはギリギリOK」という一線とは別の、より普遍的なルールでもって自らの能力を制御しなければならないからです。
まさに「法律的には」という言い方は、「合理性」を突き詰めたような言い方である。
「合理性」は非常に強力だ。あらゆることを単純に、明快に推し進めるだけの力のある考え方だ。でも、それだけに、色々な物事を捨象して強引に突き進んでしまう面はある。……なんか、エセ現代文みたいな書き方になりましたね(笑)
だからこそ、その「合理性」を自ら制御できるような基準が必要なのだ。それが、本書では「美意識」なのだという。
システムの変化に法律の整備が追いつかないという現在のような状況においては、明文化された法律だけを拠り所にせず、自分なりの「真・善・美」の感覚、つまり「美意識」に照らして判断する態度が必要になります。
この自分なりの「美意識」がいかに重要なものかを解き明かしていくのが本書の一番の見どころだ。
「美意識」とは強力なビジョンを導き出すもの
そのようば「美意識」であるが、もちろん、絵画や音楽などのアートに触れることによって磨かれる側面のあるものだが、それ以上に、本書で論じられる「美意識」として重要なのが「美意識とはビジョンを描き出す力だ」ということだ。
私は「デザイン」と「経営」には、本質的な共通点があると思っています。(中略)一言で言えば「エッセンスをすくいとって、後は切り捨てる」ということです。そのエッセンスを視覚的に表現すればデザインになり、そのエッセンスを文章で表現すればコピーになり、そのエッセンスを経営の文脈で表現すればビジョンや戦略ということになります。
なるほど、確かに対象を見て、その対象をただあるがままにコピーを取るだけでなく、その意味を再構成してあらゆる人にその本質を明瞭に示すことが「アート」の力だということは説得力がある。
「意味を再構成する」ということは、すなわち、自らの信念や価値観に基づいてかみ砕くということだ。本書でいうところの「美意識」の役割がまさにここにある。自らの「美意識」に基づいて見たことのないものを描き出せる能力が必要なのだ。
高度に複雑で抽象的な問題を扱う際、「解」は、論理的に導くものではなく、むしろ美意識に従って直感的に把握される。
この直感がどれだけ魅力的になるかが美意識の質なのだろうか?
「ビジョン」を持たなければいけないということは、色々なところで主張される。学習指導要領だって「見通しをもって」なんて文言が入ってくる時代である(笑)
「見通し」なんてまさに「ビジョン」といってもよい部分だ。…ちょっと大げさかもしれないけど(笑)でも、「いかにして善いビジョンを描き出せるか」という問いは、教育現場には弱いことかもしれない。当たり前に「見通しをもって」ということが主張されるけど、「見通し」そのものがいかにして生み出されるのかということは問われてもよいことかもしれない。
学校はビジョンを持てるだろうか
本書はさらにビジネスの世界でいかに「美意識」が注目され、成功を収めているかということを解説しているが、それはそれで面白いんだけど、やっぱり自分は教員なのでビジネスよりも学校にどうつなげるかに興味がある(笑)
さて、学校とビジョンということばで思いつくのはセンゲのこの本ですね。
学習する学校――子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する
- 作者: ピーター M センゲ,ネルダキャンブロン=マッケイブ,ティモシールカス,ブライアンスミス,ジャニスダットン,アートクライナー,リヒテルズ直子
- 出版社/メーカー: 英治出版
- 発売日: 2014/01/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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5つのディシプリンの中に「共有ビジョン」があることは偶然ではない気がする。
詳しくはぜひ良書なので読んでもらいたい*1けど、本質的には、いかにして学校という組織を「学習する組織」へと作り変えていくかということが述べられた本だり、急所は丁寧にビジョンを共有していき、丁寧に対話を繰り返していくことの積み重ねである。
その一方で思う。さて、よいビジョンとはどのように描けるのだろうか。その一つの答えがやっぱり「美意識」なんだろう。
確かに少しずつ着実に、そして丁寧に議論していくことで導かれるビジョンはあるかもしれない。でも、一方で烏合の衆とかした職員会議が繰り返されることも実感として知っている(笑)だからこそ、本質を抜群に掴み、明確なビジョンを描き出せる存在が学校に必要だという感覚はある。そのような強力なビジョンを描き出せる「美意識」を持った教員はどれくらいいるのだろう?
翻って、一人一人の教員は自分の学級を持てば、間違いなく、その学級の責任者である。ビジョンは子どもが描けばいい……とは思うものの、一方で教育の責任者として「このような価値観を大切にして欲しい」ということをビジョンとして示すことの重要性は感じざるを得ない。
さて、烏合の衆になる職員会議の参加者たる教員は、自分の教室でよいビジョンを描けるのだろうか(笑)
たぶん、ビジョンを描き出すことは簡単ではない。
さて、そのとき、自分に足りない「美意識」をどのように補って子どもたちの前に立つことができるのだろうか。
*1:ただし888ページ