こんな記事を見た。
中学の放課後に「助っ人」塾講師 学力テスト、国数とも県平均下回り…加賀市教委、多忙の教員に代わり|社会|石川のニュース|北國新聞
市教委は、学力アップの助っ人として、部活指導などで多忙の教員に代わり、民間の塾に協力をあおぐ。
何の冗談を言っているんだろう?
委託するべきは
教員の仕事は教えることではないという烙印を押すようなこと市教委が行ったことの意味は大きい。
つまり、「部活の方が教員の優先的な仕事」であり、「学習指導はアウトソーシングできるもの」であるという認識を周囲に与えたということの意味が大きいのだ。
実際の現場のことを考えると、部活動をアウトソーシングするには、記事に出ているような予算ではおそらく足りない(じゃあ、それだけ教員をタダ働きさせんなよという話でもある)し、費用対効果の効率としては合理性はあるのだろうとは思う。
しかし、それでも、である。
学校が教えることを手放して、素人でしかない部活動指導に忙殺されている現状を肯定するような支援の仕方は、まさに「見識」が問われているように思う。
学力の根拠が全国学力テスト(全国学力調査のことか?)の点数というのも、短慮だろう。
我々は何を教えているのか
塾の授業や目的がどこにあるのかということは、この際、問題ではないと思う。塾の教育産業の一企業としてのミッションがあり、それに沿って営利活動しているのだから、「教えること」という学校の本質をアウトソーシングする学校よりもよほど筋は通っている。
部活動指導は別に我々教員は専門資格を有している訳でもないし、教育課程に明確に義務づけられているものでもない。その効果は認めつつも、学校の中の主従関係を誤ってはいけないものだろう。
にも関わらず、「多忙化」を理由に、教えることを手放すのは本当に情けないと思わざるを得ない。
「多忙化」は真剣に解決を考えなければならない問題である。しかし、その手段が教えることのアウトソーシングか…と思うのである。
繰り返すが、現場の合理性を考えれば今回のやり方がベターだろう。ただ、その合理性を選んだことで、何を周りに伝えているのかに引っかかるべきなのだ。
授業のやり方や生徒の対応の方法をいかに合理化して効率的に「こなすか」ということが持てはやされる風潮を感じる昨今であるが、そういう仕事の仕方の行き着く先は、こういうことなのだろう。
「教えることを減らして企業に任せたら楽に働けるようになった」と満足しそうな空気も感じないわけではないが…。