考査も終わってちょっと成績処理は忙しいけど、次の仕事をする準備をする余裕もある時期です。現代文の授業は冬休みを挟むので単発ネタを色々とやります。新しいことを試すにはいい時期です。
自分が勉強をするのにも比較的よい時期だなあと思うのです。できれば、その勉強を広げていきたいところですが……
やっぱり忙しい
自分の気分としては比較的のんびりと年末に向かっているのですが、まあ、実質的には成績処理や赤点者の呼び出しなどもあって拘束時間は結構長い。
労働時間を気にしながら働かないとエンドレスになるので、こういう時ほど年初の決意を思い出す。
努めて、早く帰ろうと思う理由としては
- とにかくストレスの多い時期なので休まないと体にガタが来る
- 授業のクオリティを確保するためには自分の勉強が必要である
- 労働時間を減らさないと怒られる(笑)
いくらでも仕事は出てきてしまう。ホームルームの生徒のために資料を作ろうなんてやりだしたら永遠に終わらない。どこかで切り上げなければいけないと思うし、あまりサポートしすぎても実は無力にさせるだけなんじゃないかと思うこともある。
しかし、やっぱり何だかんだいって忙しい。
でも、忙しいといって時間を作らないと自分の勉強をする時間を取れなくなる。
勉強しないと先細る
忙しいのだけど、無理にでも勉強時間を確保しないと自分の授業の持ちネタがなくなる。教科書に書いてあることを読むだけの授業になったら、本当に何のために授業しているのだかわからない。
だからといって、授業準備と称してネットで適当な知識を拾ってきて、適当に投げるのもバカバカしい。というか、ネットでネタを拾ってそれを授業準備と称して授業するなら生徒にURLを共有したほうが話が早いのである。
生徒に任せて、生徒の自由にやらせるためには、生徒が多少のイレギュラーを起こしても動じないくらいには準備しておかないといけない。
……が、そんなに色々準備するにはやっぱり落ち着いた環境で考えないとダメだ。
とにかく職員室はうるさいし、ストレスが多い。電話の音が鳴るだけで神経がキレそうなくらいストレスが掛かる。
ですから、まあ……さっさと帰って勉強したほうがいいですね。
勉強を共有できない
しかし、最近思うに、ひとりでやっていても行き詰ってしょうがない。
国語の授業でいくらいろんなことをやっても、それ以外の授業で受動的になることに飼い馴らしていたら、全く自分の頭で考える習慣なんて身につかない。
だから、他の人も巻き込まなければいけないと真剣に考えるようになってきたのですが、上述の通り、この時期の微妙な忙しさのせいで、全く人と勉強の成果を共有できない。
自分の授業を公開して、むしろ見学に来て欲しいといったところで、100人教員がいるのに見学にくるのは2人や3人の固定メンバーだけである。興味がないか忙しいのか俺のことが嫌いなのかのいずれかなのだと思う。俺のことが嫌いならそれでいいんだけど、忙しい、まして興味ないと言われてしまうと、この先の授業のことが、生徒のことが心配になって堪らない。
決して大したことをやっているわけではないけど、誰も来ない、誰も何も言わないという状況に行き詰まりを感じてならない。
外に出て、外の人の意見を聞くのはできる。しかしね……今、自分の目の前にいる生徒が不幸でならない気分になるのです。
出来ないと詰る前に、もっとやれることあるんだよ……。
忙しくても勉強しなければいけないんだよ…