ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

入試対策を粛々と…

11-06-10 We Are Not Frightened Anymore

高3の二学期ということもあり、授業としては粛々と入試対策を進めるのです。まあ、個人的にはあまり面白いことではないのだけど、学校としての方針もあれば生徒たちのニーズもある。

問われていることを正確に答えるという特殊なことも、まあ…半年くらいなら害にはなるまいよと。

そもそもきちんとした大学の入試問題は本質を捕まえさせようと工夫しているから、それを読み解いていくのは、まあ……マイナスになることはないよね。ただ、自分がやりたいことや問題意識とは別のベクトルにあるというだけで。

ベースを鍛える

難しいことにも、とりあえずは向き合わなければいけないという気持ちになっている今だからこそ、ベースとしての知識事項や悪戦苦闘しながらも解釈していこうとする習慣は身につけてもらいたい。

なかなか読書量が増えないという高校という場においては、入試のためでも文章を読むのは……マシなのか。入試があるから読めないともいえるのだが。

だから、受験に向けては授業でも少し知識を淡々とやらせる時間を取ろうと考えている。毎回、帯単元で。

語彙力を鍛えさせたり、論理トレーニングしてみたり……手数を多く、色々な「機械的な」トレーニングをあえて取り入れている。

大人のための国語ゼミ

大人のための国語ゼミ

 

色々な読み方を短時間で経験してもらえれば、それはそれで選択肢になるかなと。

個人的な今の教え子たちの感触としては、どの学年よりも大量に「読み書き」はしてきたので、持っている道具はそれなりに多いのではないかと思う。それを入試という文脈にきちんと当てはめられるか……こればかりは訓練か。

『イン・ザ・ミドル』の中にもテストへの対応についての言及があるが、気分としてはそれに近いものがある。さすがに「2、3日かければ十分」(P.235。原著だと「A few days」となっているが……とにかく時間をかけたくないのねという印象を受ける。)とは自分は言えないけど……。

イン・ザ・ミドル ナンシー・アトウェルの教室

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ちょうど、WW/RW便りでもテストについての記事が挙がっていたので参照されたい。

WW/RW便り: (読解)テストへの対応

『イン・ザ・ミドル』の中でのテスト対策についても詳しく書いてあります。

一つのジャンルとして「テスト」というものを読み解こうとしているのだと感じるが、下手な予備校講師のまことしやかな言説よりよほど具体的なアドバイスしているなぁ!と思うのである。

自分もこうやって授業できればいいのにと思うものの、その勇気がない。それでも問題集の回答を読みあげるような授業はしないつもりだけど。

入試についての言説あれこれ

大学入試問題について、ちょっとした読み物としては、今を振り返ること五年前に、『日本語学』で特集が組まれていたことがある。

日本語学 2013年 07月号 [雑誌]

日本語学 2013年 07月号 [雑誌]

 

5年前なので大学入試改革の話が出始めたころの内容である。よく読むと、このころに論じられていたことと同じような方針もあり、そうでもないこともあり……まあ、今になって騒ぎが大きくなっているのを見ると、もっと早くできることはあっただろうにと思ったりする。

話がそれたが、この特集号の中で福井大学の三好修一郎先生が次のような大学入試への愚痴?のような記述を書いているが、なかなか面白い。

大学の教員は、何の疑問も覚えることなく、「訓詁注釈力」を測る設問を作り続け、試験結果の余りの出来の悪さに慨嘆するのが常である。(中略)私は、「もうすこしわかりやすい文章を普通に読む力を試す」入試問題の作成を同僚たちに提案することを(中略)実行に移したが、案の定というか相手にされなかった。(P.16)

入試がいったい何を試しているのかということを、把握することの難しさを諧謔的に述べた部分のように思う。受ける側(受けさせる側)としても、一体何を試しているのか……と思うことも多いので、笑い話にできない部分もあるのだけど、何を試しているのか、何を試したいのかということの逡巡は、結局は定期考査だって同じこと、身につまされる話である。

その意味では、東大の以下の文章はなかなか思い切りが良いと思える。

高等学校段階までの学習で身につけてほしいこと | 東京大学

総合的な国語力の中心となるのは

1) 文章を筋道立てて読みとる読解力

2) それを正しく明確な日本語によって表す表現力

の二つであり,出題に当たっては,基本的な知識の習得は要求するものの,それは高等学校までの教育課程の範囲を出るものではなく,むしろ,それ以上に,自らの体験に基づいた主体的な国語の運用能力を重視します。(下線強調は引用者 2018年9月4日20時確認)

一体、どんな採点になっているかはあずかり知らないところであるけど、「自らの体験に基づいた」ということの言わんとしていることは、大問1でも、特に大問4では強く感じるところではある。

まあ、あの問題で試せているのかということについては、議論も批判もあっていいだろうけど、その文章のテーマについての予備知識がないとしてもきちんと積み重ねて読んでいけば、それなりに高度な議論を理解できるという構成になっているという意味では、「国語として」はうまくは出来ているように思う。

入試にどうやって向き合うか

正直、入試についてはうんざりしている面が多い。それは教科の問題ではなく、制度の杜撰さとも見える部分に、だ。非常に不公平なことが多すぎる。

一方で必死に泣きながらやるのに、一方では勉強らしい勉強をしなくてもいい場合もあり、一般試験にしても財力で差がつく要素だって多すぎる。

仕方ない、何も出来ないから愚痴にしかならない。せめて、目の前の生徒達には、受験くらいでこじらせてしまうことがないように……。

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