まあ、エラそうにこんなことを書いていたのだが。
さっそく失敗して、生徒を叱らざる得なくなるという。
別に能力の高低を叱っていない
叱るっていっても、別に生徒の成果の悪さに対してのものではない。
学年の一番最初の話合いであるのに、上手くやれるはずも無ければ、これからどこまでやれるかというスタート地点に過ぎないのである。そこに成果の良し悪しで評価しても無意味である。
とはいえ、多くのクラスではそれなりに仕掛けを準備しているので、大きく失敗すること無く話合いに取り組めていたのだが、一クラスだけ躓いたのである。
確かに、相対的に見れば能力は高くないクラスなのだが、同程度の成績のクラスであっても同じように話合いが回っていったことがあるので、何が違うのかということがはっきりと分かる。
その原因が比較的、許容しがたいことであるので叱るというハメに陥るのだった。
それは「他者の言葉をきかない」ということに尽きる。
別に教員である自分の指示を守れないだとか、注意力散漫だとかいう話では無い。自分たちの話合いの現場に於いて、自分の隣にいる人間を見ていないのである。
もちろん、課題の設定や指示の仕方など、こちら側の工夫でマシになることも多いのだろう。それはそれとして次回は課題を変えるなどして対応するので比較的問題では無い。
問題なのが、クラス全体を見たときに、引きつるような違和感があることである。
なかなか言語化しにくいものであるが、話合いに参加しているようで自分で引き受ける気が無く、誰かがいることを軽視している、そんな空気があるのである。
話合いの身体性
これは自分が見立てを誤って、生徒に丸投げしすぎたのが原因だ。もっと、話合い以前のところで、生徒の関係性や振る舞いを見取っておく必要があった。
ペアワークまでの段階ではそれほど目立たなかったのだが、実際のグループになった段階では、途端に四人が四人でまとまっていない、他者がいることを無視し始めるのである。まさにフリーライダーの姿勢である。
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まさに、こんな本の話と同じ状態である。
むしろ、全員が参加しないだけに、「そういう文化」なのである。
こういう場合は、やはり丁寧に段取りを踏まないといけなかったのだが……自分の方が仕事が回っていなかったな。
ただ、先に、自分が短気を起こしてしまったなと思う。が、いま・ここの場にいることを尊重できないことに、イラッときたのです……まあ、短気である。
結局、短気な叱り方をしたので、本人達には自分たちの能力のことを怒られたのだとしか思わず終了である。
まるで失敗である。