昨日の失敗を反省し、本日はあらかじめ色々と生徒に指示をしてから話合いに挑ませる。
きちんと押さえるべきところを指示すれば、話合いはそれなりに上手く行き、昨日のように明らかに失敗だったとはならない場合が多い。生徒が使える時間が短くなってしまうのが欠点だが……。
言って聞かせてやって見せて…
話合いは上手く行かないのがふつうである。そして、その失敗が自分の能力のせいだと生徒は原因を考えがちである。だから余計に生徒が話合いに億劫になって、先に進まなくなるのである。
その悪循環を断ち切って、少しずつ話合うことに向かっていかないと、いつまで経っても自分の問題として向き合うことが難しくなる。
あらゆる場面で資料を読み、書き、話合い……ということは必要となるのに、その一つ一つの技術に向き合う余裕が、国語の授業からすら失われてしまったら、どこでそのような技術を学ぶことができるだろう?
なかなかしんどいし、フォローすべきことも多いけれども、一つ一つを今はやらないといけないのだろう。腹をくくるしかない。
話合いを始めながら
恐る恐る話合いを始めて、失敗したりもしているが、少しずつ活動が出来ている。もう、恐る恐るなので50分の時間じゃ全然進捗もよくない。
正直、中間テストをどうすんだこれは、ってレベルに進んでいない。
でも、前の三年間の反省もあり、きちんと雑にやらない。話すことときくことを毎回毎回馴染んでいくまで繰り返していく。時には今は強権を発揮しながら、矯正しながら……。身体感覚として話し合いに馴染むまで。
どのクラスにも調子のよい生徒はいるので、一見すると活発に見えるようにはなってくるのだが……その話が本当に深まっているかは今が一番、注意深く見ている。
ペラペラ話しても中身までペラペラなんてよくあるのである。
生徒の一つ一つの動作、言葉遣い、姿勢、クラスの空気感……そういうものを注意深く、その場で見ていくことが重要なのである。
時間が足りないと感じる上に、自分が授業でやることも多いのである。ここが踏ん張りどころである。
やることを捨てていく
シンプルにシンプルに……。毎日、授業の計画を考え直すが、考えるたびに授業でやろうとしていることを捨てていく。
本当はやらないとダメなのではないかと、悩ましくも思うことも多いけど、授業の中でどこに集中すべきかと……一つ一つを選ばないと。
50分しかない。しかも、週2である。そんな中でも、テストのためにだけに教えることを盛り込んでアリバイ作りはしたくないのである。三年でものを考えるのである。