やっと現代文の授業の雑多な取り組み方のルールの話を終えて、教科書本文に入っていけそうなところまできた。これから生徒たちに自力で頑張って取り組んでもらうが、最初の話し合いだけは失敗させないようにしなければと思う。
苦手だって言われても
はっきりと授業で「自分たちで考えて成果を出すこと」を生徒に求めている。必要があるなら話し合うことができなければダメだし、自分の持てるリソースをちゃんと使うことを求めている。
もちろん、いきなり何も教えないで「自分でまとめて成果を出せ」なんていうような無責任なことはしない。だから、やたらとオリエンが時間かかっているのです。
「学びの責任」は誰にあるのか: 「責任の移行モデル」で授業が変わる
- 作者: ダグラスフィッシャー,ナンシーフレイ,Douglas B. Fisher,Nancy E. Frey,吉田新一郎
- 出版社/メーカー: 新評論
- 発売日: 2017/11/17
- メディア: 単行本
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この本の「責任の移行モデル」の4段階(P.8など)の「焦点を絞った指導」の段階である。ひたすら自分が話しているし、「とにかく話を聞いて要点をメモしろ!!!」と、どこに力点を置くべきなのかという話を続けている。
3時間もそんなことをしているうちに、やっと生徒の中にどこに力点を置くべきかということが見えてきたようで、次の作業に移れるかなぁ……と恐る恐る考えているのである。
生徒の様子を見ていたり聞き取りをしていたりすると、やはり「話し合いは苦手だ」という生徒は少なからずいる。人見知りだとか話が続かないだとか……。
だとしても、自分の答えは決まっている。「自分で出来ないなら協働せよ」と。
自分が苦手であれば成果を出さなくていいというものではない。
自分一人で限界があるなら、その限界に留まっていては、教室にいる意味がない。
教室で、40人で、だから出来ることを50分で真摯に取り組んで欲しいのだ。
大変だからこそスタートを
話合いが苦手、誰かに頼るのが苦手、人見知りだ……そういう大変さは分かる。自分だっていやだからね。べ社の研修とかの無意味な話合いだとか苦痛でしかたない。
でも、きちんと手順が整えられ、話合うことに必然性があるならば、そういう話し合いは楽しくっていつまでもできるのである。自分は人見知りで偏屈なので別にコミュニケーション強者ではない。ただ、丁寧な場は、丁寧な話し合いができるのである。
自分としては、このスタートで生徒に失敗をさせたらいけないと思っている。
失敗することで話合うこと自体に嫌悪を抱かせてしまったら、その後が苦しくなってしまう。少しでも成功体験を積んでもらったうえで、一歩を踏み出せるようにして欲しい。失敗を回避する方法は先達がいくらでも示してくれているからね。
失敗事例から学ぶ大学でのアクティブラーニング (アクティブラーニング・シリーズ)
- 作者: 亀倉正彦,溝上慎一
- 出版社/メーカー: 東信堂
- 発売日: 2016/03/01
- メディア: 単行本
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絶対に失敗をさせない。
このスタートがすべてである。