前からやろうと思っていたセンター試験の解説授業。とりあえず、ここまでの色々と集めた情報も含めて生徒に提供しつつ、改めてセンター試験の構成が良くできているなぁと思うのである。色々な制約のある中でよくやっているとしか言いようがない。
真っ当に読めば解ける
あらためて、センター試験の解説を考えていくと、基本的にはきちんと読めば解けるようにできているということである。今年の問題についても、大問1は、あれとあれをああやって押さえれば(解説を気軽にシェアする気はない。下手に受験生が思い込んでもアフターフォローできないし)、素直に解けると感じるのである。
基本的には真っ当に構造を取れば十分なのである。
問題は80分で読むにはちょっと辛いところなのだが……これは毎年のことであり、今年は、ここ数年だと全体として、もっとも文字数は少ない。
明らかに本文の字数が評論は減ったし(1000字ほど減)、選択肢も三行のものが減っており、字数は減っている。
この字数の減少が、全体を丁寧に読むということにつながるかというと、やはり少し焼け石に水という感じはある。少しうがった見方をするのであれば、次年度からは「実用的な文章」や「複数テクスト」が積極的に出題されてくることになった時に、選択肢を短くして読む時間を確保しないと厳しい……という思惑があるのかもしれない。
まあ、ともかく、真っ当に構造を捉えていけば解けるように選択肢も作られているのである。ちゃんと図式化して復習してみましょう。
逆に言えば、全体の重要な定義となってくる問2をコケると今年は特に辛い印象。
例年、センター試験の評論は問2が要なのだと感じています。
設問の意図を考える
基本的に、センター試験の問題や国公立の問題は、これまでの出題の質の高さから考えても、出題されている箇所や文言にはそれなりに合理性や狙いがあって出しているのだろうと好意的に解釈するようにしている。
まあ、割と恣意的な話なので、眉唾くらいで結構ですが……今年の東大の評論の問題文は「趣旨を踏まえて」なのに、出題の意図は「論旨を踏まえて」になっていたし……意外といい加減なのかもしれん。
とはいえ、今年のセンター試験の小説は、色々と悩ましいところもあったのだが、よくよく読んで考えていくと、確かにそういう問い方が妥当なんだろうと思うことは多々あるのである。
今年の小説の問題は「問2」がなかなか厄介な印象。おそらく、全体を解ききってから整合性を検証しないと、生徒の試験時の読み取れる情報量からすると厳しい気がする。問3がかなり出題としては慎重で、なおかつ物語の構図を理解させるようになっている工夫された問題に感じる。
「『私』がこのとき推測した妻の心情」という問い方が、よく物語の構造を意識した設問である。
この物語の「語り」の構造が分かると、物語を通じて「戦争」というものが与えている影響が良くわかるし、浮いている設問に見える問4も「戦争」と、それを見つめる「私」という構造から、なるほど、だから必要な設問としておかれているのかとわかるのである。
正直、このあたりの構図はよくわからなかったので、色々と話している中で、同僚に教えてもらったところである。
別に、ここまで深堀りしなくても、割と消去法と言葉の対応で読めてしまうのだが、「ちゃんと読んで分かって作問している」という前提から、自分もちゃんと読む道筋を見つけたいと思うのである。そうでなければ、生徒にちゃんと読む、という道筋を示せないだろうと思うのである。
よくできている問題は…
センター試験の問題は洗練はされている。それは大規模試験としては非常に望ましいことだろう。
或る意味、きちんと形が整っているといえば、東大の問題も今の形式になって20年が経つので(細かな台数の変化はあるが)、さすがに出題としても安定している。解説も正直やりやすい。
とはいえ、問題が安定していることは、一方で、答えの幅もだいぶ限られているところがって、誘導されて誘導されて……なんだか間違いなく綱渡りをするような感覚になることもある。
だから、たまには色々と正解が見えないような、でも、解答の在り方は限定されてくるような、「遊び」のある問題も扱いたくなるものである。九州大学の共創学部とか、チャレンジングで不安定さもあるが、出題の意図やポリシーをめぐってあれこれと考えるのも面白いところである。
いずれにせよ、入試問題としては、奇をてらうことなく、少なくとも学習指導要領からは逸脱しない真っ当な読み方で読めれば、解くことができる問題であってほしいものである。
配点などは……これまでも何度も変わっていることを考えると、とりあえずは置いておくとしても、真っ当に読むということが来年度以降もないがしろにならないことを期待している。