ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

調べて分かることなのに

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久々にここまで酷い記事を読んだ。

president.jp

この手の記事はモグラたたきなのでスルーでもよいのだけど、ここまで酷い記事となるとさすがにスルーできない。ちゃんと批判しておこう。

ただ、教科的にどうのこうのという話は、なかなか伝わりにくいことがあるので、事実誤認の部分をツッコんでおく。

記事の姿勢について

まず、記事の書き方が雑な点を指摘しておこう。誤解を招くことに気を遣わない姿勢が見て取れる部分がある。

民間試験の活用が見送られ、何かと注目を浴びていた英語試験。「リーディング(80分)」「リスニング(60分)」に分かれていて、それぞれ比較的平易な英語ながら、文章量が多く、速読(速聴)能力が求められる内容になっていた。(2021/01/30 20:10 確認)

英語の試験時間については、大学入試センターの説明は以下の通りである。

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(令和3年度大学入学者選抜に係る大学入学共通テスト実施要項より)

試験時間は60分で間違いはないが、「何かと注目を浴びていた」という認識を持ちながら、細かい注意を払わないのは、なかなか雑だろう。

非常に重箱の隅をつつくようなことを言っているが、記事全体について、この手の「聞かれなかったから言わなかった」というような書き方が目に付くからである。以下に述べていく、国語の試験に関することだって、自分の都合の良いように情報を拾い上げるだけであり、批判の仕方としては雑なのである。

記事の姿勢として、こういう雑さを持っているという前提で上で紹介したリンク先の記事は読んでもらうと良いだろう。

国語の記述問題について

なお、これだけだと揚げ足取りのように見えるので、もう一カ所、事実誤認なのか切り取った言い方をしているのかは分からないが、雑な言い回しがあるので紹介しよう。

国語は、すべての学問の基礎である。その国語力を問う、日本の最高学府・大学の入学試験で、記述力が問われてこなかったことが、日本の教育では思考力や表現力が育たないといわれる最大の原因だったと痛感した。

欧米の大学の試験では、必ず記述がある。欧米でも採点者によって不平等になるという批判はもちろんあるが、それでも記述力を問うことの大切さを理解しているからこそ、入試では記述させるのだ。日本にマークシート方式が導入された共通一次が始まった1971年から42年間。毎年50万人以上もの受験生がマークシートを黒く塗りつぶす度に、学問の基礎である国語力を黒く塗りつぶしてきた。

(2021/01/30 20:10 確認)

共通テストでの記述導入の善し悪しは議論しないとしても、あたかも大学入試の国語の試験がマークシートの選択式の問題ばかりで、記述をさせない、子どもたちは書く力なんて無い、書かないでも大学に入れるかのような言い方をするのは誤りである。大規模な入試を行っている私立大学ですら、記述問題が含まれている場合は少なからずあり、国公立大学に至っては国語を課す全ての大学は記述式の問題である。

確かに、上の引用部分であれば、「別に国公立大学の二次試験の批判はしていない」「共通テストで記述を出さないことが国語の学力低下に繋がっているのだ」ということを言いたいと読めないこともない。しかし、素直に読むなら大学入試の国語全体を指しているかのような書きぶりだろう。

共通テストの問題のことを「こじらせた文学青年(出題者)の意図を読み取る、「忖度力」」(2021/01/30 20:10 確認)を問うているなんて揶揄しておきながら、自分の書く文章は大して上手くもない比喩で、誤解をする方が悪いと開き直って相手に自分の期待したとおりに読む「忖度」を求めるような文章なのである。

国語について

「「問われるのは読解力より忖度力」第1回共通テストは"国語"に致命的な問題がある」とは、また随分と雑で煽り立てるような言い方である。

始めに自分の結論を書いておくと、「今回の共通テストで「忖度」を試すような問題は出ていない」ということは断言する。どこが「致命的」なのかも理解できないし、「致命的」とはどういう意味で用いられているかも理解ができない。

また、「まるで時が止まったかのようである。」(2021/01/30 20:10 確認)と評しているが、ここ数年の国語の問題が、毎年、少しずつ変化していることをご存じないのだろうか。確かに、「共通テストで変化する」と恐れていたほどの変化は見られていないが、随所に、質的に大きく変わっている箇所がある。

その質的な変化については、なかなか国語を教えている人でないと伝わりにくいし、その変化については肯定否定の両方の意見があり得るので、ここでは触れない。

しかし、「まるで時が止まったかのようである。」と評するのであれば、「客観的」にもかつての共通一次、センター試験とは変化している以下のような部分について、ちゃんと論じてもらいたいところである。

  • 評論については、複数の空欄への解答の組み合わせで答える問題が出題されているが、これは今までほとんどなかった形式である。
  • 評論については、異なる文章を組み合わせた複数テクスト型の問題が出ているが、これは今までほとんどなかった形式である。
  • 文学的文章については、その本文を批評する文章とその解釈を問うような問題が出ているが、これは今までなかった形式である。
  • 古文については、文法の独立問題が消え、読解の中で文法の知識を試すような形で出題されたが、これは今まではなかった形式である。
  • 古文については、和歌について、典拠による違いとその解釈を説明させるような問題が出題されていたが、これは今まではなかった形式である。
  • 漢文については、漢詩と散文を組み合わせて考えさせるような出題であったが、これは今までなかった形式である。

などなど…目に付きやすいところを挙げるだけでも、これだけの変化が起こっている。センター試験だと、大問4つのうち、一つ、二つに変化があることは多かったけど、全ての大問でアップデートがかかっているのは、やはり「大きな変化」だと感じるのだけど、この辺りは主観ですかね。

学力が足りない

最後に悪態をついておく。

アルケオロジーの具体的な説明は紙幅の問題(と、筆力の問題)で避けるが、難解な哲学的な手法を理解しているか、それによって妖怪の定義が変わっていくことを理解できているかが、選択問題で問われていく。その文章がいちいち難解で、なんというか……「中二病」をこじらせた文学青年が書いたように思えたのだ(あくまで個人の感想です)。

今回の共通テストの出典の難易度は、国語科の立場からすれば、「標準レベル」です。明確に河合塾の問題講評にも「第1問は、標準的な難易度の評論からの出題」(2021年度 大学入学共通テスト速報 )と述べられているように、入試問題になるだけの読みにくさはあるが、いたって標準的である。

フーコーの哲学を知らなくてももちろん解けるし、語彙としても極端に難しいものはなく、難しいものも論理的に読み進めていけば、教科書レベルの語彙の理解で処理できるものである。

自分の理解できない問題を「中二病」などと腐して、大学入試全体や日本の国語教育に対して「致命的」と悪辣に罵ることはあまり品が良いとは言えないでしょう。

たぶん、今回の評論が難解に感じるとしたら、「複数の要素」が「複数の変化をする」ということが読めない読解力なのでしょう。要素が増えてくると頭の中がパニックになって、自分が何を考えているかよく分からなくなってしまうのは、生徒の様子を見ているとよくあることです。

ぜひ、国語の問題を「忖度」「致命的」などと腐す前に、しっかりと物事を整理して粘り強く読んで、考える練習をオススメします。

最後に

最後に一言付け加えるならば、調べて分かる事実はもう少し編集者が責任を持った方がよろしいのではないでしょうか。下品だということは色々な面から感じているPRESIDENT Onlineではありますが、悪意を持って共通テストをけなしたかったというわけではないと思いますので。

 
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