ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

今更という思いを我慢できず

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誰もはっきりと休校がどうなるかを責任もって宣言してくれないので、宙ぶらりんな気持ちで振り回されています。

早く仕事をしたいという気持ち(分掌は別にしたくはない)がありつつも、生徒を登校させることのリスクを思うと、おそらく授業は始まらないのだろうという気持ちになり、どうしたらいいかと逡巡を続けている。

それでも仕方ないので、今できることを準備して、少しずつ生徒に働きかけることになるのだが……。

手持ちの武器が少ない

これまで色々な場面で教育の変化が言われてきたにもかかわらず、ICT環境をはじめとして、まともに準備してこなかったということに大きな失敗があると感じる。

生徒が登校してくることが当たり前の前提として、授業で教えさえすれば教育したということにしてしまうシステムは、このような危機が行ったときにあまりにも代替策がなく、脆かった。

急に、あらぬところから降ってきた「転換」に対して、混乱して立ちすくんでしまっていることに厳しさを感じる。

これまで、学校の変革を進め、今、社会の中に存在するあらゆる方法を積極的に取り入れてきた学校は、この危機においても、比較的、ソフトランディングする場所を見つけているような印象を受ける(中の人はとても大変なのでしょうけど……)。

何も今あるテクノロジーやサービスを理解しようとせずに、学校というシステムにあぐらをかいていた学校は、もはや子どもたちに対して何かする手立てがないのである。困難な現状に立ち向かうだけの武器がない。

だから、家庭訪問のような休業の趣旨から言えば、的外れもいいところのことをやってしまうし、その位しかやれることがなくなってしまっているとも言える。

www.asahi.com

苦境に立ち向かわなければいけないという意識はあっても武器がない。非常にしんどい気持ちになる。

あり合わせでもなかなか厳しく……

昨日の記事の最後の方に愚痴ったが、今の学校だとB社やR社のサービスによってある程度のオンライン化は行われているのだが、それらのサービスの使い勝手が結局、それほど良くないのである。

まあ、UIなどのどうしようもなさは我慢するとしても、そもそもの設計として「オンライン授業」を前提としていないのである。あくまで生徒が学校に通ってきている状態で、生徒のことを教員が管理することで使いこなせるようなサービスの設計である。

それに対してGoogle for Educationを比べてしまうと、あらゆる面で洗練のされ方のレベルが違う。

今回の休校が長期戦となり、毎日、オンラインで色々と作業をしようとすると、いよいよGoogleとの質の違いが我慢ならなくなってくる。

歯切れの悪い言い方をしてるのは、今あるサービスを貶めるつもりがないからではある(このサービスがなければ完全に詰んでいた)が、それでもやはりシステムとしてのレベルの違いを見せつけられてしまうと厳しいなぁと思うのである。

そもそも、Googleのサービスは「無料」が基本であるので、学校に導入することについてはそれほど難しさはない。しかし、それでも何年もGoogleの導入が上手くされてこなかった原因が「よく分からない」や「何か役に立つの?」という意見によって、議論が後回しにされてきたということにある。

ボトルネックが教員……。

豊福先生のブログのこんな記事が思い出されるのである。

gakko.site

この苦境に追い詰められて、やっと「やらないとまずいかも」となった。

でもなぁ……。

いくらでもチャンスはあったよなぁ……。

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