ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

一人で勉強をするために

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連休がまもなく終わる。自分が思っていた以上に仕事が進まないものである。在宅勤務がなかなか捗らないっていうのもよく分かる。

結局、勉強は時間だ

独学をしたいという人は多くいる。だからこそ、『独学大全』が大ヒットしている訳だ。

いや、自分で自分の勉強のモチベーションの管理が出来ない人が、これだけの大著を読み通せるかは怪しいのだが……。しかし、全部読まなくて良いというスタンスで書かれているのに、結局、全部を読み通してしまうだけの魅力があるので、学びたいという気持ちは強力なものである。

ところが、その学びたいという気持ちはエンジンとしては強力でも、持久力には欠けていることの方が多い。いざ、学ぼうと一念発起しても、それが長続きしないので、大抵の場合は挫折するのである。

自分のように生徒の学習を毎年眺める立場にいるとよく分かるが、結局、個人個人の能力の差は大きくはなく、出来る出来ないの差は「続けたか、続けないか」である。高校くらいまで来ると、小中高…と十年以上の積み重ねの差があるので、あたかも才能のように見えるけど、ある程度の入試問題が解けるようになるというところまでは、物量である。そりゃあ、難問や応用問題には差が出るかもしれないが、それ以前のところで躓いていることの方が遙かに多いのである。ほら、教員がある程度、どんな入試問題でも対応できるのは、才能というよりは問題を解いている物量が多いからだ。

大人だって事情は同じで、結局、毎日の仕事の後にどれだけ勉強が出来るかということは本当に必死にならないと微妙なのである。

自分もpythonとか少しいじってみないといかんよなぁ…と思いながら、結局放置である。それどころか、国語科教育の書籍を読むのにも最近はどうも食指が動かないで、怠惰である。

どこかで向き合うしかない

勉強をするか、しないかということを決めるのは自分である。

放置しても問題のないものは、結局、放置しがちになってしまうし、放置できないものは工夫しなくても追い込まれてやるか、放置したしっぺ返しを喰らうだけなのである。

根本的に、「勉強する」ということは自分が決めないと、誰に何を言われても動かないのである。その意味だと、学校のように口うるさく、誰かに「あなたの目標はこれなんだから、頑張って勉強しろ」とまくし立てられるのは、勉強に対するリマインダーとしてはかなり強力であるなと思う*1

苦手なことややりたくないことと向き合わないと、なかなか今の自分の現状から抜け出すことは難しい。

一番、最悪なのは自分の現状に直面を避け、自分よりも出来ない人間を見つけて安心したり、誰かのことを揶揄したりすることである。自分のことでなく、他人のことに文句を言い出すようになると、もはやそれは勉強にはならない。ネガティブで鬱屈した気持ちを抱えて、何時間も、何日も、何ヶ月も勉強なんて出来ないし、他人を攻撃するようなメンタリティでは、自分の苦手に謙虚に直面するということができないのである。

コンプレックスを抱えているから勉強するのであろうけど、コンプレックスで攻撃的になったら、勉強に何てならない。自分のことを粉飾決算するために都合の良いことを寄せ集めるだけになる。

時間は有限である。自分に出来ることは多くはない。

だからこそ、何を勉強するべきなのか、何をするべきなのかということをちゃんと取捨選択するしかない。

『独学大全』にもあるが、結局、何かを選ぶと言うことは何かを捨てるということである。一流と競おうと思うのであれば、自分が何を差し出すつもりなのかという覚悟が問われるのである。

そんなわけで自分も仕事しよう…

結局、休みの間に期末考査を作ろうと思ったが、やる気が出ないで放置。

ひたすら、数学を解いて現実逃避という。あ、今日は田中健一先生の『英文読解入門10題ドリル』を一通りやりました。

英文読解入門10題ドリル (駿台受験シリーズ)

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  • 作者:田中 健一
  • 発売日: 2020/11/18
  • メディア: 単行本
 

国語からの逃亡……。

結局、このままだと、また数日後に、「期末考査の作成RTA!」となりそうな……。

*1:まあ…リマインダーの仕事しかしなくなったらダメだけどさ、教員は。

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