コロナのおかげですっかりBYODが当たり前になったなぁと感じる。隠れキリシタンのように使っていたころに比べると、ずいぶん、使用の幅が増えた。
しかし、そんなときにまた厄介な事案に当たりましてね…。
あぁ…それは気づかなかった
生徒に自分のスマホを使わせている時に、ちょくちょく出くわすのが「フィルタリング」によって、授業で使いたいページがアクセス出来ないということである。
いや、そんないかがわしいサイトにアクセスさせようなんてしていないですよ。Webニュースですら弾かれることがあるのです。Yahoo!ニュースは、複数人弾かれているのを見たけど……うーん、基準が分からない。
ちなみに、一番、酷い例だと、スタディサプリが弾かれるというのも見たことがある。あと「ゲーム理論」を調べると「ゲーム」だから弾かれるとか…ね。
普段、自分の使っている機材がオールフリー(当たり前である)なので、こんなにも厳しくフィルタリングされるとは思わなかったのですよ……。
せっかく、授業の中で「読むこと」の一環として、Webにある素材を上手く集めて今までは出来なかったことに挑戦しようと準備してきて、フィルタリングに弾かれると、結構萎えるのである。
いや、印刷すれば良いんですよ、紙で。でも、Webにあるものを紙に印刷して渡すって一体、何を目指しているのか……という気分になるので、止めておきます。
がんじがらめのモラルではなく…
実際に、バリバリと使って見ると、このフィルタリングの障壁は結構、気になってくるのである。また、フィルタリングと同じくらいキツいのが、「時間制限」である。一定の時間以上スマホを使うと、画面がロックされて使えなくなるという機能がある。
勉強時間を圧迫するくらいにゲームに夢中になっている生徒なら活用の方法があるとは言え、授業無いに「ロックされて使えません」となると、結構萎える。
本当、学習の道具として日常的に使うので有れば、制限をかければかけるほどに、面倒くさい無用の長物になると思わされる(ついでにいうと、授業で指示がないときは電源を切れ…というルールも、再起動までの時間が地味に鬱陶しい)。
本気で、ICTの活用というのであれば、トラブル防止も必要になる(というか、トラブルを起こしたら家庭から間違いなく責任を言われてしまう…いや、それは…みたいな案件でも)のだけど、先回りして「使えなくする」ことがよい事ばかりではないと、使えば使うほどに思い知らされるのです。
以下の本が12月に発売されますが……もう職員室に10冊くらい置きたい。
「情報モラル教育」から、「世界標準」のデジタル・シティズンシップ教育へ。ネットの危険性を叩き込むのではなく、参加型学習によって対話しながらデジタル技術・思考を身につけ、社会を主体的につくる学びへと誘う。
いや、むしろ、生徒に読んでもらった方が良いのか。自分たちがどれだけ必要以上にがんじがらめにされているのか、自分たちの権利とは何なのかを考えて、むしろ子どもから働きかけられた方が良いのかもしれない。