ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

心も冷える季節

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今週に入って急に寒くなった。

こういう急な寒さは身体に堪える。そして、寒くなると急に不安が募るものでもある。

いつだって選択

教員として、生徒の話を聞くのはいつものことである。365日、無駄に見えるような話をしながら、少しずつ関係を創っていくのが教員の仕事である。

ブログには書けないけど、生徒との日々の話を赤裸々に書き記すことになれば、それこそ毎日1万字くらいは書けてしまいそうなくらい、毎日、大なり小なりに色々なことをしながら生活している。

そして、だいたい、周期的に同じような話題がやってきて、同じように毎回苦しんでいるという気がする。

この年末という時期は、寒くなって心細くなるせいか、どうも生徒からの面談は「弱気」になったなぁという印象の面談が続くのである。

しなくてもいい面談を、わざわざ生徒の方から申し出てくる場合は、だいたい「弱気」になっていることが多い。そもそも、面談相手を選ぶときには、自分の味方になってくれそうな人を無意識に選んでいるものである。自分がある程度、答えを持っていて、その答えに合せて、都合の人を選ぶというのは、誰だって無意識にするものだ。

端的に言えば、「答えを決めて欲しい」と期待されているのだ。

しかし、残念ながら個人的な感触として、生徒の期待する答えを、天からの啓示のように、生徒に示してしまうのは、悪手になることの方が多いように思う。結局、決断する決心がつかないから相談している、意地悪な言い方すれば、決断する責任を負えないという気持ちがあるから、誰かに決めてもらうとしてしまっているのだ。

そういう一種の「甘え」は別に時々なら構わない。

しかし、大きな選択になるようなときに、教員の方がその「決断」を肩代わりしてしまうような面談をするのは悪手だろう。

答えを欲しがっているという姿勢は、色々なタイミングで見える。そして、答えをあげることで生徒は喜んで帰っていくのだけど……。

そういうことが必要な時もある。

しかし、長期的な視点で見たときに、その決断の肩代わりが禍根になることも少なからずあるのだ。

何十回もこの本を読んでいる。本当に些細な一言の言葉選びで、ぜんぜん、生徒の受け止めが変わるということが実感されると、この本を何度も読み直さざる得なくなる。

生徒の味方でありながら、ただ追従するだけではない姿勢を示したいのだ。

不安の気持ちに敏感に

楽しく学校にくる…ということは決して単純な、普通ではないということを、教える側は常に気を配っておきたい。

生徒にとっては普通の、当たり前のこととして感じられるのがベターではあるだろうが、教える方が「学校に来るのが楽しくて当たり前」とだけ思って対応していると、色々なものを見過ごしてしまうだろう。

カウンセリングやケアについては素人に過ぎない教員であっても、時間をかけて生徒と過ごしている以上は、丁寧に付き合っていきたいものだ。

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