緊張型頭痛でだらだらと頭が痛い上に、視力の調子が良くなくて辛い週末。来週からちゃんと授業できるか心配です。ダラダラと疲れる。
来週も相変わらずオンライン授業が続くので、目の疲れがしんどいところだ。そんな中、昔書いた記事がTwitterで注目されていたので、紹介しておこう。
動画授業と教員の役割
今改めて重要な視点ですね。
— Iwata Takaho (@IwataTakaho) 2020年5月24日
教育工学には、「アクターとしての教師」「デザイナーとしての教師」という語があります。
動画があれば教師は要らない、という主張は、デザイナー(設計者)としての教師の役割について無知であることから生まれているのではないでしょうか…… https://t.co/h7fF8fErWh
書いた自分が忘れているのに、Twitterでランダムに過去記事を流しているので、たまにこうして反応してくれる方がいると自分もハッとする。何か余計なことを書いちゃいないかと……。
ちょうど三年前の記事なのですね……三年前に疑問に思っていたことが、こんな形で盛大な社会実験を強制させられることになるとは思わなかった。
この時に、懸念していたことが、まさに的中……とまでは言わなくても、直面することになるとは……。まさに、何のために動画を作って生徒に配信しているのか、配信した動画によってどんなことを生徒に教えたことになるのか、学校に生徒が来ないことで何が起ってしまったか……こんな形で答え合わせはしたくなかった。
こんな記事も書いている。この記事のまとめとして「一斉授業」について書いているけど、このコロナの時代になってしまったときに、一斉授業も変わらざるを得ないのだろう。
登校する生徒と登校しない生徒がいる教室が当たり前になるのかな…?リスクを冒してまで通学してきて、生徒に何を教えるのでしょう?話合いのようなリスクの高いことは正直、実施は厳しいでしょうから学校に聞いても教員の話を聞くだけ……?なら、動画で良いじゃないか?
そんなことを考える時期に来ている。
授業観が合わないと議論が進まない
自分の授業にとって、何かをレクチャーするということの割合は高くない。授業時間はできるだけ生徒自身が自分が集中して何か作業に取り組むための時間に使えば良いという発想である。
しかし、協働的な作業が難しくなることや分散登校になると、学校に来ていない生徒へのフォローという話が絶対に必要になるのだが、その際に、自分以外の担当との足並みの揃え方という問題がある。
多くの解決策として安易に出されるのが、授業の様子を記録しておいて、それを動画で見せれば良い……というものである。でも、それは学校に教室で授業を受けている生徒に向けて語りかけられているもので、その様子を動画で見て、自習しろというのは乱暴ではないか。教員免許更新のeラーニングで、教員免許更新講習の動画を延々と見せられて、恐ろしく苦痛だったことを思うと、授業を録画さえしておけばいいという発想はあまりに貧困だと思うのだ。ライブ配信だって同じです。
そもそも、50分レクチャーするような授業をやっていない時はどうするの?自分はまさにそれに当てはまる。ミニ・レッスンを簡単にしたあとは少なくとも30分以上は生徒の好きにやらせているし、基本的には個別の指導をしている。動画に撮ったところで何の役に立とうか。
自分の授業は終始、以下の記事の通りです。
「そんな授業じゃ困るから一斉授業しろ」と言われたら、本末転倒じゃないかね……などと思っているのだが。
自分のやり方が非常にコロナと相性が悪いのであろうか、変わるべきは自分であるのか。考えることは多いのである。