ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

GWの後半戦へ

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GWも後半戦である。前半三日が不調でまったく仕事が手につかず、現状に至っても調子は5割くらいなもので、あまり仕事に集中できない状況である。とはいえ、連休が明ける前に進めておきたい仕事もあるので、仕切り直しをしようとしています。

動画の授業などについて考える

GWということもあり、学校自体がシャットダウンしているので、あまり大きな問題になってこないが、依然としてコロナは終息を見せず、学校再開の目処は見えてこない。

分散登校などの手段も提案されているが……現実問題として、首都圏の学校で生徒が公共交通機関で移動するだけリスクであるので、何も解決されないといえる。

そうなると、やはり現実的にはオンライン授業なのだろうと思う。環境が整っていないという現実はあるが、発想としては「できることをやる」であり、どうにもならない家庭には特別な支援を個別に当たるしかないというイメージだ。

「オンライン授業はできます」 広島県教育長に聞いた、“3種の神器”のそろえ方

youtu.be

行動がとても早い。そして、何を優先するべきかという決断も明確である。

出来ない理由を探しているような状況ではなくなっている。すでに休校になって2ヶ月経っている以上、これ以上の放置は出来ない。生徒のケアが四月の課題であったとすれば、5月の連休明けには本当に学力保証に動かないとまずいだろう。

だからこそ、オンラインでどのように授業を考えていくのかと言うことになるのだが、どうも同期型、つまりはリアルタイムの対面にばかり傾きつつあるような雰囲気を感じる。

www.s-locarno.com

www.nikkei.com

同校は国語や数学、英語など10科目を対象に、20分の授業を毎日8コマずつテレビ会議システムで配信している。

分量としてはかなり配慮しているのだろうけど、それでも8コマずつ毎日配信されたら……。

こういう話も出てきている。

www.j-cast.com

学齢によっても状況は大きく変わるので、一概にどれがベターかも論じにくい。だから、普段、親しんでいる先生方が動画配信することには一定の意味があるとは思うのだが、それでも、総量を上手くコントロールしないと様々な面で歪みが出てきそうだ。

個人的には、一日20分8コマを毎日配信されたら耐えられないよ……とは思う。家にパソコンが一台しかなくて、三人子どもがオンライン授業となると……かなり厳しいのでは?

そして、色々なシステムが急激なトラフィックでトラブルを抱えている状態なので、毎日、同期型で対応するというのはトラブルの対応だけでエラい苦労しそうだよ…。

先生が登場することには意味があるだろう

動画での効果が上がるかということには懐疑的である。画面の撮影の仕方、文字の大きさ、編集技術を考えても、教員が動画を撮影して配信してもクオリティはスタディサプリの足下にも及ばない。

スタディサプリの板書の見やすさってすごいですよ。簡単にやっているようで、いざ、自分が撮影してみると、ああは見やすくならない。目の前に生徒がいる状態での板書と動画での板書って全然技術が違う。

同じ土俵には立てない。

だが、動画で配信する意味も多少はある。学校の教員と生徒の間で、これまでの間に、共有してきた文脈があるからこそ、最大公約数を目指した動画よりも、親しみやわかりやすさは出る可能性はある。

……だが、今は新学期である。去年から継続的に指導しているのであれば、そういうことも出来るが、年度が替わり、生徒も教員も入れ替わった状態であれば、学校の先生がわざわざ授業動画を作る意味は……。

youtu.be

YouTuberが親切に、やり方を教えてくれる動画が山ほどあります。教員が即席で作っている授業の撮影方法動画もあるんだけど……上の動画とクオリティを比べてみて欲しい。本職にはなかなか勝てない。

年度の途中で、生徒との関係性がある程度出来ている時期であれば、多少無理しても、先生方が頑張っている様子を見せたり、生徒のことを理解して動画を作ったりするならクオリティを超えたものは期待できるかもしれないが……時期が厳しい。新入生に対して、がっかりするようなクオリティの動画を見せられますか?

いや、それでも顔を見せた方がいいし、早く関係を作らないと救えるものも救えないので、無理してでも自分は動画を作りましたけどね。それがベストとは思っていないし、全教員が一斉に動き出して、一律で見るように指導が始まると厳しい。

授業や教えることを分解しよう

オンライン授業というツールに振り回されている感じが強くなっている。

ここは遠回りのように見えるが、やはり一度、授業というものをもう一度よく考える必要があるのだろう。

授業という場面で何を目標としていて、どんな手立てが意味があって、どのような成長の仕方を生徒が辿るのか……そういう普段は深く考えなくても、目の前の生徒とのやりとりでカバー出来てしまっていたことを、きちんと要素として考え直す必要があるだろう。

こういうカリキュラムのことや

インストラクショナルデザインの道具箱101

インストラクショナルデザインの道具箱101

 

こういう授業や学びの要素の精密化だとか

生徒自身に学び方をどのように示すのかということだとか、考えることは山ほどある。

動画の撮影と編集に取られている時間で、一冊でも本を読み直した方がいいと思っているのです。身も蓋もない言い方をすれば。ツールに振り回されていると感じてしまうのである。

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