ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

失敗を許容する

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2学期の授業も最後です。

最後くらい気分良く成功で終わらせる……?いやいや、果敢に挑戦してもらいましょう?

パフォーマンスは難しい

「知っていること」「分かっていること」「できること」「使える」*1などの間には大きな乖離がある。

難しい言い回しをしなくても、生徒に「ちょっとした」パフォーマンスをしてもらうだけでも、教科の中で学ぶある概念について、どこまで生徒の「実」になっているかということがすぐに露呈する。

なかなかパフォーマンスの成果を見取るということは、難しいところであるが、ルーブリックやコメントによるフィードバックで成果を実感してもらうのである。

ただ、やはりパフォーマンスは、ペーパーテストで「できる」ということよりも、色々な要素が絡んでくるので難しい。そして、失敗に対する抵抗感も強いのである。

パフォーマンスをする以上は、誰かに評価してもらう必要があるのだが、評価される「舞台」に立つという経験が非常に精神的なハードルが高いのである。

安心の場所が必要

パフォーマンスには失敗がつきものである。だからこそ、失敗に対する「安全」を確保できている教室でないとパフォーマンスは難しい。

そして、その「安全」は教員がいくら頑張って「大丈夫」だよと声高に言ったところで、不安がる生徒の耳には届かないし、実質的な安心にはつながらないのである。結局、生徒の安心を創り出すのは生徒と生徒の人間関係である。

どれだけ、生徒と生徒の関係性を安全なものにできるのかということは、その場で作ることができるものでもなく、地道に時間をかけていくものなのである。

なかなか、生徒の間の空気を見ていて、「まだ難しいかなぁ…」と臆病な気持ちになることの方が多い。大村はまも言っているが、発表させるのであれば失敗させてはいけないのである。だからといって、いつも成功できる舞台ばかりをお膳立てはできないし、失敗から学ぶこともある。

どこでなら「挑戦」ができるかを、ちゃんと見極める必要があるのだ。

やっと大丈夫に見えてきた

高2の2学期最後の授業で、やっとそういう様子が見えてきたように思う。

とりあえず、やってみて、上手くいかなくても許容できるような姿が見えてきた。だからといって、自分たちのクオリティをなあなあに馴れ合って下げるのではなく、一生懸命やっていてもチグハグになったりする部分もあり、深刻にしないような柔和な受け止め方をしつつ、自分は自分でちゃんとやろうとベストを尽くす……そういう雰囲気が少しずつ出てきた。

ただのなれ合いでもダメだし、あまりにお互いに辛辣になりすぎてもよくない。

場数を踏んでいくことで、だんだんとパフォーマンスでできることは増えていく。そのパフォーマンスに挑戦すること自体に嫌な感じがなく、まあ、やってみようという雰囲気になるのは、やはり地道に本気での繰り返しが必要なのだ。

真面目で粘り強い人たちに向かい合って、自分の力では2年かかる。

これだけのパフォーマンスが、もっと早く出せるようになれるなら、もっとやれることがたくさんあるはずなのに…。

なかなか、自分自身の挑戦は続くのである。

追記:あたりまえだけど

生徒の前で、生徒にやってもらうパフォーマンスを自分もやり続けるのですよ。

で、たまに失敗して、「あ、ミスった」なんて言い合いながら、やるくらいでちょうど良いのです。

*1:この言い回しは、石井英真先生の『授業づくりの深め方:「よい授業」をデザインするための5つのツボ』などの真似です。

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