授業を地道に進める。生徒の活動を見ていて、思うに、活動が滞ったり空気が歪んだりすることは、だいたい自分のせいである。
自信が無いときにやりがちな…
授業の準備をしていると、「いや…これは行き詰まるんじゃないか」と予感することがたびたびある。扱う単元や題材が難しいと「これは…議論が進まないで沈黙するんじゃないか?」と嫌な予感がすることが何度もある。
そういう時に、自分がやってしまいがちなことが、「自分が授業で説明する時間を増やす」ということである。
話合いやグループでの取り組みの時に、沈黙の時間が長くなると授業をする方も生徒の方もかなりしんどいものになりやすい。
その沈黙を見ている時間ってのは結構辛くてね……。
だから、どうも「これは重いんじゃないか」という嫌な予感があると、自分が話す時間を増やすことで、生徒の沈黙しそうな時間を削る…という荒技に走ってしまいがちである。
根本的にはダメ
しかし、そうやって生徒自身であれこれと試行錯誤する時間を削ると、結局は後悔することになる。
まず、説明は説明で…分かった気になって満足度は高いのだけど、時間で脆くも剥ぎ落ちやすい。教えるべきことは教えなければならないけど、誤魔化すように説明の時間を延ばすのはやっぱり悪筋なのである。
はじめから丸投げするのも上手くいかないし、できるチャンスがあるものを説明で塗りつぶしてしまうのも同じくらいよくない。後者の方が授業としては体裁が整うので、失敗したようには見えないのだけど、自分たちで使えるようになるまで検証するという様子がなくなるので、やっぱりどこか貧弱なんだよなあ…。
だいたい予想は裏切られる
良くも悪くも授業準備の予想は裏切られる。
散々、嫌な予感がして心配した授業であるのに、蓋を開けてみたら生徒の方が想像以上にちゃんと取り組めて、時間を削った自分が完全に戦犯……そんなことばかりである。
自分が、生徒の力をちゃんと見極め切れていない、信じ切れていないと言うことを年に何度か思い知らされるのである。授業の学習材の見立て、生徒の今の力の見立て、クラスの雰囲気や人間関係の見立て……あらゆるものをちゃんと検討して、授業計画をするべきなのに、追い詰められてやっつけでやるからそうなるのである。
あぁ…修行が足りないのである。