レアな本を手に入れました。
デジタル・シティズンシップを考える
見ての通り、Amazonではもう取り扱いはありません。運良く、早い時期に情報を仕入れて予約していたので手に入れました。
早く帰ったので読んでます pic.twitter.com/BrXmKz723e
— ロカルノ (@s_locarno) 2021年7月2日
去年、発売の
を読んで以来、ちゃんと考えなければと思っている。
詳しいことはまたどこかでまとめようと思うが、本当、過剰にICTに対してアレルギーを起こす学校だからこそ、考えるべきことは多い。口を開けば制限制限ともう煩くてたまったものではない。
ChromebookはMDAが緩いから学校に向かないとか、中学生に使わせられないだとか、もう少し、何でICTなのかということの根本を考えた方がよいのではないかと嫌味も言いたくなる。
自分たちの道具として、自分たちが使い方を決めて、自分たちの役に立てるという感覚を、ちゃんと教えないから、そして学校から排除するから顕在化するときに取り返しの付かない大事となってしまうのだ。
学校の都合ではなく
制限に精一杯の人はこういう本を読んだことがあるのだろうか。
日本のとのスピード感に違いと、日本の這いずり回る状況にウンザリとする。決して、この本ではICT礼賛している訳ではないけど、自分たちの都合で現状維持にひた走る学校のメンタリティとの対比で見ると、本当、暗澹とするものがあるのである。
「ICTは所詮道具だ」とか「勉強の本質は手書き」とか「泥臭く勉強させなければ駄目だ」だとか……どれも発達段階や必要に応じて手書きもICTもアナログもデジタルも当然に使い分けるのが今の世の中なのだから、当たり前だろうに、ICTに対してだけ拒絶反応していることを、アレルギーと呼ばずに他に何という言い方が相応しいだろうか。
こんなデジタル教科書の話と、ICT活用の話と、娯楽としての消費の話を区別できない記事が大見出しで書かれている状況に、非常に危うさを感じるのだ。
担任教諭(40)は「操作でつまずいてイライラしてしまい、勉強嫌いになる子供が出てくるかもしれない」と漏らした。
本当にこんな教諭がいるのか?自分の準備不足と想定の甘さを棚に上げてよくこういうことを言えるな…と思うのである。本当にいるんだろうな?
芯がないと
どうして使うのか、どういう教育なのか、なぜ必要なのかということについて、主体的に語れる教員でありたいものだ。