8月15日の終戦記念日を超えると、明日から職場も勤務が始まりますし、9月からのことを考える時期である。
真摯に授業を考える
気が抜けている時期なので、先達の言葉を大切にして姿勢を正したいと思い、こんな本を読んでいます。
本当は、もっと自分にとって国語科の授業は楽しいものであるはずなのに、普段の生活からすると苦虫をかみつぶすような顔をして毎日授業している気がする。
自分が置かれている立場や与えられている役割が、やはり自分にとってはあまり面白いものではないと感じることが多いが、それは仕事なのだから自分の好き勝手にやれるわけではない。
本当にどうしようもないのであれば、自分の職場を変えれば良いだけではあるので、やはり今の仕事の仕方に真摯にもっと向き合わなければいけないのだ。
町田先生のいう「楽しむ」という概念は、軽佻浮薄な教える側の一方的な楽しみを言っているのではなく、子どもたちが教室で着実に力をつけていく姿への畏怖や国語科教育を支える多くの学問への敬意や何よりも教え手の試行錯誤を厭わない情熱と日常からアンテナを高く持つ意識にあるのだ。
自分から国語科教育に対する熱意がどんどんと削られている日々(元々あったのかは分からないけど)をもう少し自分の主体性で解決できる気がするのだ。
町田先生の本は
のように、どの本を読んでも魅力的な授業のための試行錯誤が語られるので、自分がクダを巻いているときに、開き直るにはよい刺激となります。
割り切って踏ん張る
最近、魅力的な授業を作れていない。それは勤務校がコロナで振り回されているということも影響しているし、自分の立場が自分のやりたいことに全力を振れないような立場になっていることなども影響している。今の授業と生徒の成長の度合いを見ると後悔が大きいのだ。だから一層、自分がグダグダとしているのが分かる。
だからこそ、もう少し覚悟を決めて授業づくりに取り組まないとダメだなと思っているし、もう少し毎日をクリエイティブに色々と学習材づくりを習慣化しないとダメだなと思っている。
入試、入試とやっていくのには息が詰まるのだ。
何を大切にしたいのか、そしてそのために何をするのか……単純に考えれば逆向き設計論そのものじゃないか。
もう一度、基本に戻ろう。
クリエイティブなことを取り組んで、楽しい授業を作ろうじゃないか。