ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

新学習指導要領の教科書

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令和五年以降の新学習指導要領に対応した教科書の検定が行われました。

案の定というべきか、「論理国語」と「文学国語」が話題になっていますね。

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他の教科も大幅に変わっているので国語にばかりこんなに集中しなくても……。火が付けやすいところに火が付いた…という印象です。

正直、もう「論理国語」と「文学国語」の話だけを騒ぎ立てて、どのように子どもたちを育てていくのかということには興味が無い議論には食傷気味である。「古典探究」も大きく変化しているし、「国語表現」については受験に関わってこないせいか話題にされることすら珍しい。そういう色々な観点が抜けている議論は結局、色々なものが置き去りにされているのでうんざりする。

「論理国語」と「文学国語」の分断が問題か?

よく論理と文学を分断するからダメだという議論を目にする。それはその通りで論理の中にもレトリックはあり、文学の中の論理もある。様々な言語の表現にバランスよく触れていくことで、国語の力を身につけていくことは議論するまでもなく重要なことだ。

だからこそ「論理国語」と「文学国語」の二者択一のように見える科目の設置の仕方に苦情が出るし、もう少し柔軟に扱えればよいのにという感覚はよく分かる。

しかし、それでも、だ。

この改訂の議論でとにかく疑わしく思っているのは、「現場は本当に文学を大切にしようとして議論しているのか」ということである。

こうして教科書が出来上がって出てきたときに聞こえてくる話題が、「夏目漱石の作品が載っているかどうか」などのように、いわゆる定番教材の有無だけである。

文学作品であれば何でもよいではなく、定番作品があるかないかという話なのである。

大学の教員が何を考えているのかは自分がしる余地はありませんが*1、少なくとも高校の様子を見ていると文学そのものを重視する人よりも定番教材のことを挙げる人のほうが多い気がする。

表現としては「夏目漱石の作品くらい高校で読むべき」「山月記くらいは読んでもらいたい」というような形だ。

逆に言えば、文学国語の学習指導要領で言語活動例として挙げられているような活動をしたい、もしくは文学としてもっと徹底的に深めていきたいというような話は聞かない。扱いたいという文学も明治から昭和の小説で、現代文学や韻文を深く扱おうという議論は限られている印象である。

もしかすると、自分は文学界隈と関わりなく国語科の教員になったタイプの人間なので、ちゃんと大学の時に文学をまともに勉強しているのであれば、そういう話もちゃんとキャッチできているのかもしれないのだが、自分に聞こえてくる「文学を教える」というのは定番教材重視である場合が非常に多い。逆に文学にばかり偏りすぎて他の指導事項がどうなっているんだ?という話も、その次によく聞こえてきてげんなりする。

時々、本当に目の覚めるような見事な提案を聞き、こういう授業のためにも文学をしっかりやらねばという気持ちになることがあるが、圧倒的に割合としては少ない。

文学を子どもにとって意味のあるものとして捉え、様々な種類の文学を豊かに展開しようとする授業が出てくることを期待したいが、ただ今までと同じ定番教材を今まで通りに教えたいだけに堕さないことを願っているが…。

文学ではなく国語科の教員である

自分個人の意見をいうのであれば、自分は国語科の教員であって、文学の教員ではない。文学の素養はむしろ壊滅的にないので自分の国語科の教員としての欠点であるので反省はしている。でも、国語科の教員としての仕事は文学だけではない。しかも、それは正しく解釈を教えるというような、極端に読むことに偏った仕事ではない。

「話すこと・聞くこと」「書くこと」も大切な教えなければいけない仕事である。また、子どもたちが日常、学問、仕事とあらゆる場面で出会う言語の表現がどのようなものなのかを考え、教室で何を伝えるべきなのかを考えて、実践するのが仕事なのである。

その意味だと本当は「国語総合」が一番、しっくりと色々なことが出来てよいのだが……。結局、国語総合だって古典と現代文に勝手に分けて展開し、「総合」という趣旨を台無しにして、「読むこと」ばかりやってきたために、強引な科目割りを押し付けられている状況を、やっぱり厳しい目で見ざる得ない。

色々な思惑が絡みすぎて、この議論はウンザリです。

でも、この機に乗じて意味の分からない、理屈の通らない論理力などで商売しようとする団体や企業は、厳しく退けなければならないと思いますよ。あまり仲良くなれないことも多い文学をめぐる議論なのですが、それでも外からやってくる貧相な方法論に対しては、お互いに協力してしっかりと退けないとダメだと思います。

*1:大学入試の問題に文学の素材を課す大学の方が少ない状況が何年も続いているのに、そのことを文学軽視と学習指導要領の話題と同じレベルで主張しないのは何故でしょう?疑問でなりません。もちろん、大学進学率を考えると全員が関わる教科書と入試は同じレベルで考えることはできないけど、入試が「論理国語」を選ばざる得ない状況を作っているという認識はある程度は共有されているだろうと思う。

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