ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

追い詰められてからが本番

いよいよ二学期が始まってしまいますね!

夏休みに散々授業準備の時間はあったじゃないかという声が聞こえてくるところですが、どうしても直前にならないと生徒たちの姿が見えないせいか、授業づくりに本腰が入らないのですよね……。

そういう訳でいよいよ授業が始まるぞというプレッシャーを感じるこの時期になってやっと授業の細部を詰め始めました。

ぼんやりとあれこれとアイデアは溜めているので、全くの無からのスタートではないのだけどね……それでもこうして後回しにしたのはよくないとは思うが……たぶん、ずっとこういう調子でやっていくと思う。できるだけ生徒の実態に近い様子を見続けて授業を考えたいので。

はい、言い訳です。

授業観を鍛える

授業づくりをどうすれば上達できるか。

やっと十年の授業を経験したが、結局、授業をよくしたいと思ったら授業に対する自分の価値観を常に問い直し続けて、修正し続けなければいけないと思っている。

小手先のスキルや身につけるのに時間がかかる知識は、授業づくりのために即効性はないし、劇的に授業が変わると言うこともないだろう。

しかし、授業に対する価値観が変わると、途端に見通しがよくなることが大いにある。

 

 

改めて「シリーズ国語授業づくり」を読み直しているが、やっぱり授業観や教師の姿勢を問うこの一冊は強烈だよなぁ…と思う。

結局、教師の姿勢が生徒との関係を決め、生徒との関係性で出来る授業の幅が決まる。そして、授業に学び浸ることが出来るかは、魅力的な教員であるかということが与える影響は大きい。

国語の授業で扱うコンテンツが好きな人にしか、学び浸れないなんて授業はやっぱり貧困だよなと思う。言葉と切り離されて生きていくことが出来ないのだから、一人一人の言葉の向き合い方がある。

その向き合い方をちゃんと見取って、理解して、歩み寄ろうとしつつ、鍛えるのだという気持ちがなければこの仕事は勤まらない。

生徒の本番をどれだけ授業に用意するか。それは放置して自由にさせるということでもないし、問題を分かった気にさせることでもない。他者のいない言語にならないように、いつでも他者のいる言語の本番を授業で実現したい。

そういう気持ちで授業をしている。

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