ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

新課程2年目に向けて…

河合塾のGuidelineをぼうっと眺めていた。

www.keinet.ne.jp

10・11月号には「変わる高校教育 新課程2年目の指導に向けて」という特集が掲載されていることもあって、あと半年以内にまた新しい科目が始まるんだなぁということをぼんやりと思っている。

論理国語と文学国語は…

数年前には大炎上した「文学国語」と「論理国語」の設置に関する議論や文学を授業で扱いづらくなることについて、いよいよそのカリキュラムが始まる直前になった今、大きな話題になって議論されている感じはしない。

もう各方面が言いたいことを言って話が終わりになっており、あとは現場がどうにかせよというムードに感じる。

Guidelineの記事の中でも紹介されているが、理系のコースでは「文学国語」の設置はされない割合が増えているため、なかなか文学の扱いは難しくなる。そもそも他の教科とも授業数の奪い合いになっている状況に置いては、国語だけが特別扱いで授業数を増やすことは現実的ではない。

実際問題として、文学国語を設置できない状況があるときに、果たして高校で文学に触れないでよいのかという問題は、国語の教員としては少し引っかかるところがある。もちろん、それは「山月記」や「こころ」や「舞姫」を教えるべきだ!という話ではないし、文学が他の国語教育で扱う分野に対して特権的に扱うべきだという話でもない。

更に最悪なのは「模試では文学出るからどうにかしろ」と言われることであり、正直、その程度の周囲からの需要だとすれば、文学や国語教育に関わる人たちの敗北である。

生徒の時間は無限にある訳ではない。本気で論理国語と文学国語を両方設置しようとなると他の教科との時間の奪い合いにもなる。

それぞれの学校の置かれた条件内で、どのような実践をすることで生徒に幅広く偏りのない言語の体験を授業で実現できるか……非常に無理難題を押し付けられている感じはする。

ただねぇ…Guidelineの項目立ても「現代文」と「古典」ですよ、この期に及んで。高校の教員の意識がよく表れているなぁと思う。

短距離走の探究

総合的な探究の時間の扱いに非常に苦慮している学校は多いだろう。

こういうGuidelineのような冊子で実践事例や実施に向けての理念が紹介されているのは、非常に意味があることであるし、それの救われる現場も多いだろう。

ただ、やはり難しいなと思うのが、事例紹介になると「探究」の事例として選ばれてきやすいものが、短期集中型の特別授業のようなパターンである。どうしても、年間を通じての実践例については、地道に進捗が出ない時期があったり、最終的な結果についても参考にして再現することが難しかったりと、「事例紹介」としては見せ方が難しいように思う。

だからこそ、どうしても年間のカリキュラムというよりは、短期間の工夫のような話が多く入ってきやすい。気をつけないと「これはいいな!」と思うものをどんどんと真似して取り入れてしまって、結局年間の総体としてはバラバラで、何をしているのかが分からないような事態に陥ることになる。

単発の授業が悪いわけではない。

ただ、そこにちゃんと年間としての学習のサイクルが、少なくとも教員側には意識され、ちゃんと目線が揃っていることが望ましいだろう。そして、この「当たり前」の話が、存外に難しい。

短距離型の探究であれば打ち合わせやすり合わせは必要ない。しかし、年間を通じて意味を通していこうとすれば、細かく打ち合わせてすり合わせていく必要がある。

しかし、それをするだけの余裕が学校にある…?

余裕がない学校は何をするのも苦しいところだ。

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