ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

読書家としての教員

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3学期の授業がやっと始まりそうなので、授業について考えている。一年のまとめとして、自分はやはり生徒が自立した読み手になることを期待して、一年を終わりにしたいと思っている。

大人が読書をすること

自分はあまり読書が得意ではない。国語の教員としては致命的な弱点だと自覚しているが、読むものにかなり好き嫌いがあるし、本を我慢強く読んでいることが出来ないタイプである。

特に小説を読んでいられないし、根本的にあまり文学が好きではないという自覚がある。

しかし、自分が出来ないことや好みでないことと、読書の効用については全く別の次元の問題であり、自分が上手く中高生の頃に本を読むことができなかったからこそ、生徒の読む力を少しでも伸ばしたいという思いがあるのだ。

本を上手に読むということはどういうことか。

それは非常に難しい問いかけである。本の数が読めればよいというものでもなければ、普段の読書まで国語のテストのような精読をさせられてしまってはたまらない。小説を楽しむ方法も探究的に読むものが楽しいものもあれば、気分を転換するためにラノベを読むということもある。

何か、一つの読み方が適切だと示してしまって、その方法に当てはめて読ませるということは本末転倒に感じる。

とはいえ、自分がやはり上手く読書を出来ていない人間だという気持ちがあるからこそ、授業の中できちんと訓練することの重要性も感じるのだ。

色々と試行錯誤してきて感じていることとしては、自立した読者として生徒を育てるためには、教員自身が生徒のメンターとして優れた問いを立てることや優れたコメントをする様子を見せることの必要なのだろうということである。

自分自身の読書の試行錯誤を開示することが重要なのだろう。

授業で読書のことを話す

授業の忙しさを理由にし続けていると、教員自身が一人の読者としてどのような人物であるかをクラスに共有するチャンスを逃し続けることになるということを感じている。

授業のことをふり返ると、「ああ…あの時に自分の話を伝えておけば良かった」と事後的に気づく。

特に生徒の文学的文章のふり返りを読んでいるときに、そう思うのだ。

自分は授業で一方でしっかりと読めるようにするトレーニングをしつつも、解釈をしたり意味を構成したりする面については、生徒同士の問いと交流で何とかして欲しいと思って、そういう授業構成をする。

しかし、生徒たちの思考を丁寧に観察すると、国語の授業に対するイメージが教員の持っている正解を忖度することになっているようで、自分からの正解を聞きたがる。自分の立ち振る舞いがそうさせているのだろうと反省しつつも、もっと自分が自由に解釈しているのだということを見せるべきなのだろうと感じる。

例えば、そのよいきっかけがブックトークなどのミニレッスンなのだろう。

生徒は教員がどのような人物なのかを語ってくれるのを意外と喜ぶ(とは言え、自分語りしすぎると嫌われます)ので、肩肘張らないで語ってみてもよいと思うし、そこから得られるものは大きいのではないかと思う。

例えば、ブックトークで教員が子どもたちの興味関心を惹くような自分の好きな本を話すことも価値があるだろう。好きなものを楽しそうに語る様子にひかれて、楽しく自分もやってみたいという効果はある。

しかし、それと同じくらい教員があまり納得できない本について、その理由を挙げながら批評的に話す姿も、「忖度」のイメージを持ってしまっている国語の授業からの転換のきっかけにならないかと思うのだ。

正解や「よいとされるもの」ばかりが教室で扱われていることで、ヒドゥン・カリキュラム的に伝わるものが何か…と思うのだ。

ブックトークのコツ

効果的なブックトークのコツとして『本を読んで語り合う リテラチャー・サークル実践入門』が紹介している以下のガイドラインが参考になる(抜粋)。

  • 自分がその本を好きな理由を述べる。具体的に。
  • 作者について知っていることや、その作者が書いたいくつかのタイプの本について知っていることも述べる。
  • 肯定的なものでも否定的なものでもいいから、子どもたちに意見を求める。
  • もしあなたがその本全体やその本のある部分が嫌いなら、その理由を説明すべきだ。

ガイドラインというと堅苦しいけど、要するに本のことを生徒と話し合うという姿勢で語ることが重要なのだろう。

それこそ、この本で紹介されているブックトークは、リテラチャー・サークルで生徒自身が自立して語り合えるようになることを目指したミニ・レッスンの一つなので、ブックトーク自体が語り合う姿勢の手本になるのだろう。

自分のことを丁寧に話すことを3学期の授業では意識してみることで、生徒の姿勢を変えられないかと思うのだ。

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