今年はカレンダーのめぐりのせいで学校や自治体によって始業式がいつ行われるかに差があるようですね。
始業式に何を話してクラス開きをしていくかはかなり難しいですね。
節目を意識する
世の中が慌ただしい時ほど、節目を意識することを子どもたちには伝えたいと思うようになってきている。
始業式などの儀礼的な活動を嫌がる生徒は少なからずいるのだが、学校で過ごす時間が長い中、儀礼的な活動がないと気持ちのメリハリがなくなるということは、コロナ禍で目の当たりにした光景である。
集団的な活動を礼賛するわけではないが、節目を強く意識するような活動があることで、気持ちを切り替えるきっかけになる。
自分で上手に気持ちを切り替えられる気質の人であれば、儀礼的な活動は面倒に思うこともあるだろう。ただ、平均的には何か集団の気持ちがハッキリと変わる瞬間はこういうイベントにあると感じている。
始業式自体がベストの方法なのかは判断はしかねるが、節目を意識するようなきっかけは必要なのだ。
誰一人置いていかずに
学期の始まりは子どもたちが不安定になりがちな時期である。9月はかなり社会的にも注意することが認知されるようになってきた印象がある。ただ、実際は9月だけではなく、休業明けは教員にとって注意しておこうと思う時期になるのだ。
朝、ホームルームに行ったときに全員がどんな表情で過ごしているかを確認する瞬間が一番緊張感がある。
始業式の朝は教員にとっても忙しい。
だから、気持ちがせいていると子どもの表情を見ることから意識が離れがちになる。
その一瞬の意識の空白に限って、見落としてはいけない情報を見落とすことが多いので厄介だ。
落ち着いてホームルームに入るためには、朝から意識してゆっくりと行動することが大切だ。自分の頭の中でどういうルーティンを辿るか……そういうことを心がけたい。
そうして、ホームルームに入ったら、ゆっくりと落ち着いて生徒の表情を観察する。そこまで落ち着いて確認してから、やっと話し出すべきなのだ。
可能な限り、一人一人に声をかけて様子を把握しつつ、変わりが無いかを注意深く見ていくのだ。
自分のことを話す
自分は学期はじめのホームルームでは、自分にとって大切にしたいことを話す。
それが少し先の目標であったり、守ろうとしている価値観であったり、振る舞い方の決まりであったり、そういうことを伝えるようにしている。
毎日、聞かされるには重苦しく、押しつけがましいことであっても、節目だからこそ「私はこうだ」ということを伝えることを大切にしたいと思っている。
腹を割って伝えるとでもいうのか。
シンプルで根の深い言葉を伝えたいと思うのだ。