ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

後回しにするから気が重くなる

仕事がだいたい収まった。あとは溜めている添削物を消化していくという作業だけです。その作業が果てしない気分がしていて重い気分である。

学習はしない…

仕事はいつでも気が重い。

やり始めるまでがとにかく腰が重い。自分の意志薄弱のために何かをしっかりとやろうという決心がつかずに、いつまでもクダを巻くのがだいたいのパターン。

しめきりに、なんやかんやと間に合うのだから自分の追い込んだときの速度感をなんとなく把握しているのだから、計画的にやればいいのにその気持ちが湧いてこない。自分の気持ちほどコントロールが難しいものはない。生徒には教員という味方が無条件で何人もいるのは何という羨ましい環境か。

自分のコントロールは大人になっても難しい。自分のだらしなさと意志の弱さとの闘いである。

Todoリストを作っても、作るだけ作ってやることを忘れて、嫌になって後回しになる。

そういう生活を繰り返すのである。

でも、仕事で逃げられないから、間に合わないギリギリになったら手を動かし出すのだし、やりはじめる気分が乗り始めて、なんやかんや楽しくやっているのだから、さっさとやるのが合理的……なのだが、学習できないものである。

授業の話は際限が無く

授業のことを面白く考えていると、時間がいくらあっても足りない。だいたい、単元のてびきを作り出したら、グダグダになり、ゼロからやり直しになって、放り投げてふて寝してギリギリまで寝かせ続けて慌てるのである。

本当に自分が面白いなぁと思える授業と出会えるかは、自分のアンテナの感度にかかっている。単元で狙っていることと生徒が思わず夢中になって取り組むような単元は、発見しようと思って色々なものを見ていないと気づかない。

だから、我が家にはよく分からない雑誌の切り抜きだとか妙な広告だとかが散乱しているし、スマホの写真アプリの中には妙な風景だとかがぐちゃぐちゃになっている。

時間が経つと「これはなんだ…?」と訳が分からなくなっている場合も少なくない。それでも気づいたときに「あ!」となって、それが単元として抜群にハマることもあるから分からないものである。

よい単元というのは、自信を持って生徒に「もの」を差し出せるときである。自分がニコニコと楽しそうにしているものでないと、いい授業にはならないのである。

 

 

この本の単元はどれも面白い。

こういうアンテナや感性が欲しい。修行なのだろうと思う。

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