六月も中旬が見えてきたこの時期は、そろそろ教育実習のヤマ場の時期ですね。二週間、三週間の実習を経て、集大成となる研究授業を行う時期になるのだが…。
準備は抜かりなく
研究授業を見に行って、もっともガッカリするのは「準備不足」を目にする時である。決して高いハードルではなく、教科書をしっかりと読んで自分でも調べていれば犯さないようなミスを複数しているようだと、緊張して失敗…とは言えず、単なる準備不足である。
慣れていないから完璧な授業ができるとは思っていない。むしろ、塾講師などをしていて慣れている風体の授業をして、内容が伴っていない方が印象が悪い。
ミスはあっても「ちゃんとしている」と思う授業は、自分で自分の言葉をコントロールできているような状態のことを指すと思う。
よくよく教材研究を行って、自分なりに伝えたいことを決めて、しっかりと自分の言葉を用意できている状態であれば、それが授業としては一番なのである。
いい加減、技術の評価に重点を置くのは…
毎年、実習の時期に思うのだが、指導する側の現職の教員が、実習生の技術についてあれこれと論評するのは、あまり意味が無いように思っている。
板書が上手い下手などは、指導教員に散々指摘されているだろうし、立ち居振る舞いは実習で身につけられる技術というよりは経験がものを言う部分だろう。緊張している授業の様子を見て、あれこれをダメ出しになるような講評はあまり意味が無いと思うのである。
もっと、現職の教員の強みとして、自分の学校の生徒をよく知る立場の人間として、生徒に対する見立てや教材観などについて授業者の意図を深掘っていくような対話の方が必要なのではないか。
技術は後からでもついてくるが、授業観や子ども観はいい大人になってもなかなか直らない(=アンラーニングが極めて難しい)ため、本当に教員になって活躍してもらうことを期待するのであれば、授業の考え方を深掘りする手伝いをした方がいいと思う。
よく子どもを見るという習慣を教えられるのは、よく子どもを見ている現場だけ。自分の職場はそういう場所であったほしい。