明日は閏年なので、二月の延長戦です。
しかし、もうあっという間に二月が終わりを迎えて年度の終わりが見えてきた。
三月は別れの季節である。去る者は追わず、追えず、追いつかず。
変わることを受け入れるための三月
三月は卒業式があり、そして人事の異動があり、学級を閉じていく季節である。
色々なものが変わっていく。
自分の立場も周囲の人の立場も。
そういう変化が始まる四月に向けて、少しずつ変わっていくものを受け入れていくために、静かに準備をするのがこの三月なのだろう。
どうしても色々なものが名残惜しい。変わらないままでいることの方が気持ちとしても楽であるし、新しい火種を起こさないで済むという気持ちもある。
それでも変わっていかなければ、腐っていくのである。
変わらないという選択肢は、その場に自分のことを任せきりになるということでもある。自分の主体性のためにも、少しずつ変化していくことを受け入れなければ……。
変化によってやり直せる
安定している時期には変化はあまり望ましくないのだけど、自分の状況が悪いときには変化がきっかけに何かをやり直せる可能性につながる。
その意味では、学校は常に変化し続けた方が良い。誰かが固定的に厳しい立場に置かれ続けるような仕組みの学校は、やはり望ましいものだとは言い難い。
自分で色々なところへ飛び出せる人ばかりなら組織が変わらなくてもいい。でも、そういう人ばかりではない。だからこそ、組織自体が色々と変化して、それぞれの人にとって色々な関わり方の出来る場になってほしいのである。