定期的に話題になる話。
絶対評価でつけていれば、バラツキが出ることの方が自然である。逆に統一されて、どの学校も同じような割合になる方が、本当は気持ち悪さがある。
入試と評定の話はなかなか理想通りには行かないことばかりである。
入試のために評価があるのではなく…
大前提として、学校の、授業の評価は入試のために行われているのではない、ということは強く主張しておきたいし、もっとも重要な原則としておきたい。
授業者にとっては、自分の授業を完結させるために非常に重要な要素であり、個人的には入試のような「生徒の成長に関わることとは別のファクター」からは影響されたくないのである。
もちろん、授業者の好き勝手にやってよいということや、バラバラの基準で好き勝手にやってよいということでもない。
色々な評価の話については、この本が参考になると思う。ちょっともうだいぶ前の本になっていますが…(そりゃあ、自分が大学のころに手に取ったのだからそうなるよなぁ)。
アカウンタビリティー目的の評価の話など、入試の話に関わるようなことも出てくるし、パフォーマンス評価に関する話なども出てくる。
評価の結果がどのように使われるかは難しい。
現実的な問題としては…
入試と評定の関係は、すぐにどうこう変化させられるものではなかろうと思う。心情的な反発も非常に大きくなりやすい話であるし、評定のようなものを使わないとどうにもならないものもある(漠然とした言い方しか出来ないけど)。
色々な思惑や実態が入り組んでしまっているので、おそらくドラスティックな変化はすぐには起こせないだろう。
絶対評価であるはずの観点別評価なのに、結局、クラス間の平均値などはかなり周りからうるさく言われるというのも日常であるし、どれほど優れた結果を出しても全員に5をつければ苦情が来るだろう。
入試と評価を切り離すことができればよいなぁとは思うものの、記事にある通り、色々な主張がある。
じゃあ、公平な入試をもっと考えようかということにもなるのだけど……おそらく、そんな多様な入試や多くの受験回数を保障するようなことは、現状の学校の負荷を考えると実現し得ないでしょうね。
一番、小さな労力である程度の公平性の確保ということになっていくと、やはり評価の仕方の方が影響されていきやすいのだろうな…。