ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

評価を上手く活かせていない

苦労して通知表の作成をしている人が多い時期だろうと思う。

この苦労も本来は生徒へのフィードバックとして、生徒自身が自分の学習の改善に用いてくれることを期待したいわけなのだけど、現実はABCと数値にばかり気が取られてしまっていて「改善」ということになかなかつながっていないと感じる現実がある。

評価に対する受け止め方が教員も生徒も変わっていかないと、なかなか学びに向かうあり方を変えていくことは難しいように感じる。

通知表を渡すことは…

通知表を渡すために観点別評価として各観点にABCと評定の数字を入れることを「評価」だと思っている人は、大人も子どもも非常に多い。だからこそ「成績処理」というあまり気持ちの良いものではない言葉も一般的に使われているように思う。

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とにかく右から左へと数値を機械的に処理していくこと……それが評価になってしまっているように思う。

現実的に難しさがあることは重々承知しているが、観点別評価のABCがただの値踏み、順位づけとしか役に立たないような状況はどうにかしたいものである。ただ、そのためには圧倒的に一人一人にかけられる時間が少ないということが現場の苦しいところだろうな…。

自分自身で振り返ることで

通知表のような評価の印象や役割を変えていくのはかなり時間もかかる。変化を待っていたら子どもたちが卒業してしまうので、やはり日々の評価のあり方を工夫していくのが一個人としては重要だろう。

そのために自己評価を積極的に行わせるような工夫はICTが当たり前になった今だからこそ挑戦したいことである。

フォームでも簡単な質問でも構わないので、毎回「自分はどうだった?」と問うだけでもかなり変わるのだろうとは思う。実際に、そういう教室の様子も珍しくなくなりつつあるように思う。

ただ、自己評価もバラ色の解決策にはなりにくい。実際問題として、何度も何度も「やらされている」と、マンネリ化して振り返ることの意味が、改善につなげるということが難しくなる。

また、自分の能力をメタ認知して適切に振り返ることは難しい。

その振り返りにも本当は授業者が積極的に関与するような手続きが必要になるのだけど……その手間をかけられるならばそもそも通知表の評価のあり方の工夫をだね……。

なかなか難しいことだらけである。

もしかするとそういう場面に

最近、少し思うこととしては、そういう自己評価の、適切なメタ認知を進めるための補助輪として、生成AIが威力を発揮するようになる可能性はあるのではないかということだ。

既に振り返りのためのプロンプトは多くの人によって提案されている。

note.com

GPTsやカスタムインストラクションを使うことによって、授業や単元の目的に沿って必要なメタ認知を促すような工夫はできるのかもしれない。

ただ、使ってみると感じることであるが、やっぱり向こうから言葉を促されると、提案された言葉に流されてしまうような感覚がある。その言葉は本当に自分の言葉なのだろうか?と。

そういう自己認知が出来るならば、おそらくあまり問題にならない。でも、自分で振り返っているつもりになっていて、実は言われた言葉を繰り返しているだけだとしたら……。

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