現代文を教えているとかなり価値観についてナイーブなところまで扱う。
今の世の中に対して違和感があるからこそ、言葉にして自分の考えを表明していくのだから、注意深く、色々な価値観を教えていくのである。
現代文を長く教えていると、受け取る側の生徒たちの気質の違いなども何となく感じるのである。
粘り強く主張されていることは
価値観について感じているのは、やはり一昔前に比べて子どもたちのものの見方や考え方は、マイノリティや不平等などに対してかなり前進しているように感じる。
おそらくそれは前向きな変化である。
現代の国語の授業の中で論じられている内容として、教科書の内容も少しずつ変化しているし、そういうことの影響を受けているのだろうということは感じる。
変化って分かりにくいものだから、何年かして振り返るとはっとそういうことに出会うのである。
自分をアップデートすることを忘れずに
そうやって生徒の気質が少しずつ変化していることに対して自分が鈍感になってしまうと、よい授業は難しいだろうと思う。
定番教材を定番通りに扱うことは確かにある程度の意味はあるのかもしれないが、一方で気質の変化に鈍感なままに授業をしたら、やはり生徒の読むことにつながっていかなくなってしまうのだろうと思う。
読むということを教えていくときには、文章だけではダメなんだろうな。
授業を通じて、かなりはっきりとした問題意識を扱っていくのが「読むこと」の授業になっていくことを考えていくと、自分の価値観が固着していることや執着していることを自覚して向き合いたいところである。