※写真はイメージです。ネットの広いものです。
RW二週目です。
生徒たちも二回り目に入ると感覚をわかってくるようです。
ミニ・レッスンでちゃんと伝えたいことはあるけど、生徒としては早く読みたいようで、なかなかこちらを見る目が厳しい(笑)。
読書家の時間: 自立した読み手を育てる教え方・学び方【実践編】 (シリーズ・ワークショップで学ぶ)
- 作者: プロジェクト・ワークショップ
- 出版社/メーカー: 新評論
- 発売日: 2014/04/18
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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「自立した読書家」って何だろう
RWの大きな目標としては「自立した読書家」を育てるということにあると思う。ただし、この「自立した読書家」という概念は、簡単に定義することは難しい。
色々な先行実践を参考にイメージを授業者なりに固めておきたいとは思う。
The Reading Zone: How to Help Kids Become Passionate, Skilled, Habitual, Critical Readers
- 作者: Nancie Atwell,Ann Atwell Merkel
- 出版社/メーカー: Scholastic Prof Book Div
- 発売日: 2016/11/16
- メディア: ペーパーバック
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本当はこっちを読もう。自分もまだ制覇できていない(;´・ω・)
In the Middle: A Lifetime of Learning About Writing, Reading, and Adolescents
- 作者: Nancie Atwell
- 出版社/メーカー: Heinemann (Txt)
- 発売日: 2014/11/05
- メディア: ペーパーバック
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厳密なことを考えていると、いつまで経っても実践を始められないので「とりあえず、仮のイメージ」をもって初めて見ることは大切でしょう。陸の上で水泳の練習をしないのと話としては同じです。
自分の中のイメージとしては「自分の興味と意欲を持続できる本を選ぶことができる」ということが「自立した読書家」になるための一歩目だと思っている。言い方を変えれば、「自分のことをよく分かっている」というイメージである。「自分のこと」をよく分かっているからこそ、能力や意欲に合わせて本を選んで自分でどんどん進んでいけるというイメージを持っている。
悪いことではないんだけど
そんなイメージで自分はRWに挑んでいるので、基本的に「読書の時間」はある意味で非常に孤独で、非常に内向きで、非常に個人主義的な時間であって欲しいと思っている。だから、共有というよりは「個人」で取り組んで欲しいと思っている。もちろん、最後に「共有の時間」を別途に取ることでちゃんと学んだことを説明できるようにして欲しいとは思っているけど。
でも、それとは別の軸で「読書の時間」は徹底的に個人であってほしいのです。……ところが、意外というべきなのか、予想通りというべきなのか判断に迷うのだけど、「読書の時間」を開始して、本を選ぼうという時に、うちの生徒たちは何故か友達とゾロゾロと本を選びたがり、読書もいちいちお互いに話しながら読みたがるのです。
自分にとっての読書は個人のもので誰かと一緒になんて感覚はないので不思議。ふざけているのかと思えば、ちゃんと本について話しているのも面白いところ。ある意味、自分がカンファランスしなくても、お互いにカンファランスできてね?と思うくらいに、ちゃんと話している。
いやいや…でも、それでいいのか、どちらかと言えば自分としては否定的な自分がいる。
決して、悪いことを生徒はしていない。むしろ、傍から見れば非常に高度なことをやっていると思うよ、手前味噌ながら。例えば「原発問題」の複数の本を読み比べて著者の立場の違いを相談しているとか、お互いに選んできた本のレビューをして本を交換し合うとかね。
そんなある意味で「いいこと」をしている生徒たちに水を差すようなのだけど、やっぱり「読書の時間」の時には、自分はそれは止める……かなと思っている。もちろん、叱りつけてやめさせることはしないけど。
自分のことを自分で決める時間
この時期まで来てつくづく思うのだけど、そろそろ高校二年生、自分のことを自分で決断する時間が増えていいんじゃないかと思う。
そして、自分で悪戦苦闘する時間が増えていいんじゃないかとも思う。
なぜ、RWによって生徒に多くの時間を委ねているのかと言えば、「自分で決める」という責任を求めているからに他ならない。
別に他人と相談することが責任を逃れることだとは思っていないけど、ただ、この「読書の時間」の一瞬だけは、すべてを自分で決めてみていいんじゃないかな。
自分で、他人ではなく自分だけで決めないと見えてこない、自分もあるんじゃないかな。
なかなか難しい問題です。どう思いますか。