リーディング・ワークショップについて改めて色々と考えている。
事情は大きく変わるだろうけど…
一口に「高校」と言っても、中学校以上に高校は各学校の事情が大きく異なる。そのために、一緒くたに「高校」とまとめるのは無理だろう。自分の勤務している学校は、大学進学が99%の学校なので、それはそれでやはり特殊だと言えるし、一般化して「高校は」とは言いにくい。
ただ、何となく、色々な高校の話を聞いて考えていることもあるので、少しまとめてみよう。
カリキュラムの問題
さっそく学校によって事情が違いすぎて一概に言えないことから話を始めるが、だいたいの傾向として、小中学校よりも週当たりの一人の担当が一クラスで教える授業数は少なくなりがちである。わかりにくい言い方をしたが、例えば、国語総合は標準単位は4単位となっているが、現代文と古典に分けて担当するというケースもままある。そのため、一人の担当が一クラスを教えるのが一週間で2回しかないということもある。
そうなってくると、RWを行おうとしても、授業自体が考査までの間に10回くらいしかないという状況もあり、他クラスとカリキュラムを調整しようとすると、RWが入り込む余地がない。
1回くらいは無理すれば出来るかもしれないが、さすがに年4、5回の読書指導をRWと呼ぶのは忍びない。
多くの本で紹介されている実践を見ても思うが、ある程度のまとまった期間に集中的に行う必要はあるんじゃないかと思う。
リーディング・ワークショップ-「読む」ことが好きになる教え方・学び方 (シリーズ《ワークショップで学ぶ》)
- 作者:ルーシー・カルキンズ
- 発売日: 2010/07/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
The Reading Zone: How to Help Kids Become Passionate, Skilled, Habitual, Critical Readers
- 作者:Atwell, Nancie,Merkel, Ann Atwell
- 発売日: 2016/11/16
- メディア: ペーパーバック
特に、「読み浸る」という体験にまでたどり着くには、やはり「習慣化」という点とは切っても切り離せない。
物理的に授業数が足りない可能性が大いにあるのである。せめて3単位で持てれば、可能性はあるのだが……。
大学受験というゴール
進学希望の多い学校だと、受験ということが高校1年生のころから口うるさく言われる。「塾に行かなくてもいい」なんて言い方をする人がいることも多い(この妙な婉曲表現に全てをお察しください)。
そんな状況の中、悠長に見える「さあ、自由に読書しよう」なんてことを言うと「サボっていないで仕事しろ」と生徒からも教員からも言われる場合が無いこともないといえそうである(この微妙な婉曲表現よ…)。
色々と理屈を考えて行けば、「ちゃんと」読書することで、そういうニーズに応えるだけの「指導」をきちんと実践することは出来ると思っている。
実際、語彙力以前の、読むことに集中するという体力の無い生徒も時間としては一定数いるので、ちゃんと授業で教員が介入して生徒の読書への没頭の仕方を支援する必要がある。
とはいえ、非常に効果測定しにくい部分であるし、目に見えてすぐに効果が現れるものではないので、リーディング・ワークショップをいきなり提案しても、理解を得ることが非常に難しいだろう。
一人で抱える必要は無くて…
リーディング・ワークショップをどうやってやろうかと考えると、国語科の、自分だけの授業でやろうというのは、やはりかなりの無理をしないと難しい。今、自分がリーディング・ワークショップを授業でやっているのは、このコロナの影響で夏休みが短くて、中間考査までの授業数が例外的に多いからだ。
本当であれば、もう少し無理をしないと実践できないことというのも事実なのだ。
しかし、生徒の実態を見ていると、読書を授業で行う必要性は年々強く感じるようになっているし、読書のための「時間」自体を確保すること自体にすら意味があると思うのである。
やれる理由もやれぬ理由も. 無限に用意できる。だからやる。
『バキ』240話
じゃあ、どうやって実践するか。
一番合理的なのが、自分だけでやるのではなく、多くの関係者を巻き込んで、色々な人が代わる代わるやることなんだろうと思う。
リーディング・ワークショップに必要なことは、国語科教育の専門性だろうか、いや、そうではなくて、自分自身がまずは読書家として日々の読書をすることだろう。そこまでハードルが高いわけではない。
多くの先生が関わって、代わる代わる色々な授業でリーディング・ワークショップが実践されれば、毎週高い頻度で図書館に生徒がやってくるようになるし、劇的に学校としての文化が変わると思うのだよなぁ……。