調べ学習か探究なのか悩ましい授業は本日も継続中です。
しかし、自分の課題の振り方も雑なのに、生徒は本当によく頑張ってくれていると思います。いつも50分があっという間に過ぎてしまって、本当に残念である。
実に進捗のない50分だった
生徒に振っている課題は結構難しい。それだけに参考資料とにらめっこしながら、頭を悩ませている。
とにかく、「今考えていることは本当に意味があることなのか」ということをよく自問自答しているように見える。ああいうことを話してみたい、こういうことを考えてみたいということを何度も行ったり来たりしながら考えている。
そうして少し突破口を見つけて本を探して情報を整理し始めると自分たちの問いが、本当によい問いだったのかと出戻り、考え直す。
そんなことを延々と繰り返していることもあって、そろそろいい加減頭の中が行き詰ってきているようである。しかし、ここが我慢のどころだということを分かっているようであって、簡単には助けを求めに来ない。助けを求めてこないなら、今の時期なら手を出さなくてもいいかなと思っている。本当に困ったら頼ってくるのは知っている。
そんな中、自分が読んできた本を並べてみて、その表紙や目次を見比べて、腕を組んで悩んでいる生徒がいた。ずっと悩んでジッとしている。
そんなことをしていたらあっという間にチャイムが鳴る。
そうして感想を一言。「思考停止中。しばらく待ちください」。
うむ、実に進捗のない時間だったな。そういう贅沢な時間を使っているのは大切なことだと思うのです。普段の授業で生徒の思考を全く待てていないことを思うと、こういう時間が大切だよなあと思う。
背伸びをする
時間があるからこそ、今まで自分が手を出せなかったものに手を出せる。
今、生徒の中にはピケティを一生懸命読んでいる生徒もいる。
あたりまえだけど、高校生が自力で読めるような本ではない。それは本人たちもよく分かっている……というか、本の分厚さにまずたじろいでいた(笑)。
だけど、幸いなことに有名になったからネットで解説も多いし、雑誌などでも特集が組まれているので、なんとか理解することはできるのです。でも、えらいなあと思うのは、そういう解説を読んで満足するのではなくて、自分で原著の該当箇所を読んでそのまま理解しようとしている。
大人からすれば、ちゃんと原典にあたるというのは当たり前のことなんだけど、それを時間のない授業の一環でもちゃんとやろうとしているのは偉い。もちろん、彼らにはお作法は教えているけど、それ以上に、「話題になったこの本をちゃんと読んでみたい」という意欲が支えているのだと思う。
ありていに言えば「身の程知らず」の「背伸び」である。
とてもいいじゃないか。知的なことに触れてみたい、本物に触れてみたい、でも自分の今の手持ちの能力では全然届かない。
そんなときに、えいっと我慢して背伸びをしてみる。
結果的に「分かった」にはならないかもしれない。でも、分かったふりではなく、分かろうとしたこと、そういうことの積み重ねでしか分からないことはあるはずだ。
無茶を積み重ねる
結果的にどんなものが出てくるか、どんな理解ができあがるか。
楽しみでもあり、不安でもある。
もしかすると、全然、間に合わないで雑なものになるかもしれないし、見当外れで独りよがりのことになるのかもしれない。
でも、今の授業の様子を見ていれば、結果ではなく、この瞬間にこそ学んでいるのだと思う。
ここまで、自由になってもらうまでに時間が掛かりました。しかし、一年あれば届くんだな、と思う。だとすれば、もっと早くから始めていれば……ま、捕らぬ狸の皮算用というものでしょう。