なかなか単元の途中にやっていることを振り返る時間を持つことは難しい。本当は定点的に振り替えなければいけないのだけど、それをやってしまうと、これだけ行事のせいでテンポの悪い授業日程ではふり返るのではなく、思い出すので精一杯です…。
ふり返りで成果を求めすぎていないだろうか
単元のふり返りを書かせると生徒にとっても教員にとってもかったるいものになりやすい。今後、指導要領が改訂されてきたときに、「見通しを立てる」や「振り返りをする」ということが求められるようになったときに、形だけの通過儀礼になってしまうことは恐ろしいものがある。
もう、気をつけないと典型的な「〇〇ができなかったけど、〇〇ができるようになりました」というテンプレートの記述が量産される(考えてみれば、こういうテンプレートってどこで学んでくるんだろう?)と思う。
こういうふり返りが量産される背景には、結局、教員が成果を求めている、期待しているということを生徒が忖度しているんだろうなぁと思う。
ありのままを記述できるように
本来のふり返りは、何が出来て何ができないのかという棚卸ということが重要なのだと思うのだけど、どうしても成果ばかりが書かれてしまう。
生徒だって「成果を出せないことを成績に反映されたら損だ」と思うわけですしね。
こうして、成果ばかりを焦って求めるのもつまらない話です。
本日、これまでのリテラチャー・サークルの振り返りを書かせても、やはり、できるようになったことやこれがよかったあれがよかったということには生徒は饒舌だが、何ができない、何が悪いかについては筆は重い。
しかし、そんな中でも「まだ、〇〇については解決できない。こういう解決策を考えている」ということを書いてくる生徒が出てきたのは、個人的には少しうれしい。できないことやわからないものがあった時に自己解決ばかりに走らせがちだけど、どうしたら解決できるのか、誰なら解決できるのかという観点を持てるような振り返りができてくるようになることは、結構大切なんじゃないかと思います。
尻切れトンボだけど
指導要領が気になるので今日はおしまい。