三学期はずっと時間をかけて「こころ」に取り組んできました。
最終的な成果について、生徒には各自が問いを立ててレポートにまとめて提出ということを求めています。
春休みにじっくりとそのレポートを読むことになりますが*1、生徒の成長をじっくりと感じます。
こういう時にはあら探しよりも、手放しに喜びたいのです。
お手本の参考文献
今回の実践は
の中で紹介されている渡邉先生のご実践を参考にして、自分の教室の子どもたちに合わせてやれることをやってきました。
とにかく、この二年間の授業のまとめとして、自分たちで力強く読み進めていくということをして欲しかったし、文学をなぜ読むのかということについても自分たちなりに考えて欲しかったのである。
結果的に、かなりの無茶を生徒に投げてしまったことは反省であるけど、一方では無茶だと思ったことを上手く生徒がこなしていることを見ると、生徒の力量をやっぱりまだ見極めが甘いとおも思うわけで……。
生徒の能力と授業で何ができるのかということの見立てがなかなか上達しないところです。
10時間のリテラチャー・サークルで
今回の「こころ」の読解については、リテラチャー・サークル形式で読んでもらいました。
- 作者: ジェニ・ポラックデイ,ジャネットマクレラン,ヴァレリー・B.ブラウン,ディキシー・リーシュピーゲル,Jeni Pollack Day,Valerie B. Brown,Janet McLellan,Dixie Lee Spiegel,山元隆春
- 出版社/メーカー: 溪水社
- 発売日: 2013/11
- メディア: 単行本
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何に注目して、何をやりたかったかということについては以下の記事に書いてあります。
実際、どのような展開になったかについては以下の各記事に
あ、意外と書いてなかったね。
リテラチャーサークルといっても、厳密に役割分担を決めてはいないので、リテラチャーサークルもどきである。ただ、とにかく毎回、自分たちで読書ノートに書き記してきたことを寄せ合って、どんな解釈の可能性があるのかということについて議論してもらった。
生徒の温度差、クラスの温度差、興味の違い、生徒同士の抱えている人間関係、色々な問題はあったさ。それでも我慢強く時間を生徒に手渡していたのです。
さすがに10時間も時間を掛けてくると生徒のほうが上達してくる。しかし、その進歩のスピードは決して早くないし、進歩の幅も大きいものではない。
それでも、生徒たちに手応えがあるならよいのだと、割り切っている。授業は自分たちの時間だと思ってほしいのです。
ちなみに、なぜリテラチャーサークルなのかといえば、「問い」を与えるということについても、今回はできるだけ避けようと思っていたからだ。避けるというと表現はやや強いけど、問いで色々なことを保障することを手放す代わりに、自分たちで「問う」練習をしてもらいたかったのです。これは一学期から定期的に「質問づくり」をしてきたこともあるので、個別の学習として実践してほしかったのです。
「山月記」をやっていたときに、質問づくりの成果が少しずつ見えていたので、「こころ」では、グループではなく、各自の問いを何度も作り出す学習にチャレンジしてほしかったのです。
自分たちで毎回、本文を読んできて、共有するに値する問いを選んで、限られた時間で話し合う……そういうことをして欲しかったのです。
10時間の成果はレポートで
そうしてダラダラと?ある意味、忙しく?(生徒にとっては後者)読んできた「こころ」ですが、授業者である自分でまとめることもなく、授業自体は終了しました。
生徒にはこの10時間という膨大な時間で得た情報を、自分で整理し、構造化して、意味付けするという作業をしてもらいたく、最後は「自分で追究したい問いを決めて、それについて論じよ」という課題を出しました。
「こころ」論文を書こうということは『教室における読みのカリキュラム設計』の渡邉先生の実践とアウトラインは同じです。
特に「4章」に分けて書いてもらうことについては、同じ形で授業しています。
自分の授業では、この「4章」について、もう少し細かく指示を出し、各章の中でセクションに分けて書くことを求めました。セクションの分け方については自分で意味が矛盾しないようによく考えるようにと、手引きと最終授業でパラグラフライティングの方法について話を伝えています。
かなり細かい指示を出しているのですが、理由としては「情報の構造化」ということをちゃんと練習してほしかったからです。今回の授業は10回に亘ってのリテラチャーサークルだったので、生徒の持っている情報量は、それこそノート1冊分くらいになっていました。その大量に蓄えた情報について、振り返ることなく死蔵されてしまうのがもったいないと思ったのです。
だからこそ、自分のノートを読み直して、それぞれのページから自分が興味惹かれる情報を見つけ出して、それをグループ化してパラグラフとして組み立てて……という作業を体験してもらい、ちゃんと自分たちの作ってきた情報の価値を見直してほしいと思ったのです。
結果的には、やっぱり授業でちゃんと時間を取らないと生徒にはちょっときつかったかなと反省です。せめて、ノートを読み、付箋に情報を書き出して並び替えるくらいの作業は授業でさせてあげたかった…。
でもね、生徒はいつでも俺の想像を超えていく。
成績に反映できないよ?と断っているのに「自分が納得いかないから春休みにもう一度書き直しさせて下さい」だとか「二つのテーマを絞り切れなかったので複数のレポート書いたので両方読んでください」だとか……まあ、本当は期限内にルールを守るのも大切なスキルなんだけど……本当に自分が楽しいから、納得したいから、こんなに面倒なレポートに時間を使いたいと思う生徒が複数出てきたのは嬉しい誤算である。
成績処理について
年度末にこうしてレポートを読もうといっているので、このレポートの内容の巧拙については評価に反映していません。
はっきりと書くと差し障りがあるので言えませんが、基本的にはこちらの指示した構成要素をきちんと満たしてくれていれば、満額の評価を出しています。きちんと指示を満たしているレポートについては、てびきなどで指示した「書き方」の技能は練習したことになるので、評価としては高くなりますし、内容の巧拙は「指導していない」事項であって評価すべきではないです。
まあ、授業の様子と各個人の生徒のノートを見ているので、タイトルと各章の見出しを見ると、だいたい生徒の真剣度は分かります……成績には入れないけど。授業で生徒が何度も悩んでいたことが問いになっていれば、その生徒の本当に切実な問いなのだと見て取れますし、逆に、どこからか借り物のように持ってきた言葉が並んでいると…授業と全然違うことになっているので、不自然さを感じます。
成績には入れていないけど、生徒の文章が書いてくる文章の必然性はかなり感じ取れる気がする。必然性のない文章を書いてしまう生徒へのフォローが足りないことを、さて、今後、どうしていかなければいけないのかと、また難しい課題を感じる。
ちなみに、内容は評価しないということもあるので、明らかに文学的に誤読があったとしても、フィードバックはするとしても減点はしません。そもそも、文学研究をやらせたいわけではない。文学的なレポートを書いてもらっているので、あたかも文学研究のような受け取られ方をされてしまうのだけど、文学研究ではなくて、自分たちで読んできたことの成果を構造化して、他者に読まれる形にしてまとめて欲しかったのです。
なお、成績処理とは別に、添削はします。ちゃんと生徒にフィードバックを返して、他の文章を書くことへとつなげてもらわないといけないと思っています。
じっくりとまとめていきます
これだけ時間を掛けて書いてもらったレポートですから、製本したいなぁとは思っています。全員分は……破産してしまうので抜粋になるかなぁ…。
でも、生徒に対してはクラウドを使って全員分読めるようにしたいと思っています。
自分と実際に知り合いでFacebookで繋がっている方にはそちらをご覧いただけるようにします。
何にしても、この春休みに生徒の力作を読めることが、とても楽しみです。
*1:つまり、成績処理については後述