自分の授業は無いけど、学校に生徒がいると何かと気忙しい。
自分の授業がないだけに、他の人の授業のお手伝いをしたいなぁと思ってます。来年、どの学年に行くとしても、生徒のことを知るのは自分にとってプラスなのです。
学校の一教員として
自分がこうして専任をしていられるのは、周りに後押しをしてくれる人がいたからである。
常勤の待遇の不安定さはよく分かる。自分の場合は、味方してくれる人がいたから救われたとも言える。味方してくれる人がいなければ自分では何もできなかった。学校に対してはイラつくことは多いが、それでも持てる力を提供するのは恩返しの意味が大きい。
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年1月7日
自分の能力の高低なんてそんな傲慢なこと思わないよ。常勤や非常勤から専任になれるのは、本当に運でしかない。自分の味方になってくれる人がいるかどうか。自分でどうにかできるなんて思ったら多分それも難しいのかもしれない。誰かを恨んでもどうにもならないもの。
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年1月7日
自分が真摯にやって味方してくれる人がいれば運がいい。真摯にやっているつもりでも味方ができないなら自分が傲慢なだけ。そんな非対称な力関係のなかで我慢強くやるしかない。
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年1月7日
苦しい時に味方してくれる人がいるので、自分は比較的運がいい。これまで苦しい時に味方してくれる人が必ず誰か現れてくれた。本当に運である、自分にそんなリスク管理できるような徳はない。たまたま、巡り合わせでそこに入られただけである。
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年1月7日
何を血迷ったか私立の教員なんて厄介な道を選んだものだから、契約打ち切りの年にはなかなか頭を悩ませたのだが……味方してくれる人がいたので、無理を押し通してもらえたのだ。
だから、少しでも恩返ししなければならないと思っている。
自分を専任に推してくれたときに、自分の持っている知識などを活かして欲しいということを言われている。決して、迎合して上手くやれなんて言われなかった。だからこそ、外に出るのではなく、今、ここ、で頑張ろうと思っているのだ。
だから、地道な勉強会をやっている。
少しずつ、味方もできている。有難いことに。
生き馬の目を抜くような世界が私学であり、その中で手探りで進んでいくのである。専任である以上、自分と考えや主張も他の人との議論も自分たちの学校を作るということに他ならない。
忙しさになし崩しに自分のことだけ考えるようになってしまっては、苦しくなってしまうだろうなと思う。小さくてもちゃんと教員同士で勉強や議論を続けなければいけないだろう。
気軽に他の職場を探すことも出来ないわけでもない。でも、そんないい加減な仕事をできるほど、受けた恩は軽くないのだと思っている。
時間があるからこそ動く
三学期の自分には時間がある。
時間があるからこそ、もっと蓄積できることを貯めておきたい。
自分のために、そして、そうして貯めたことをちゃんと還元できればいいなと思う。
来年度はちゃんと発表できる場にも出ていかなければ。