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【書評】『歌仙はすごい』はこれはすごい

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自分では進んで手に取らないと思われるジャンルの本をおススメされて、当たりを引いたときの嬉しさよ。

歌仙はすごい-言葉がひらく「座」の世界 (中公新書)

歌仙はすごい-言葉がひらく「座」の世界 (中公新書)

 

「歌仙」なんてジャンルを自分から触れることはほとんどない(国語科の教員としてはダメだけど……)のだけど、こうして分かりやすくて面白い本に出会えると嬉しくなります。

「座の文藝」の意味が伝わってくる

「歌仙」とは簡単に言えば連歌の一種である。

連歌 - Wikipedia

本書では以下のように説明されている。

五七五の長句と七七の短句を互い違いに組み合わせ、一巻三十六句の連句を作る歌仙。

今回の企画では、作家の辻原登氏、歌人で学者の永田和宏氏、俳人の長谷川櫂氏の三者(と時々ゲスト)によって歌仙が生み出されている。俳人の長谷川氏が宗匠(捌き手)を務めており、作家、歌人と異なる文芸を生業とする二人から出てくる自由奔放な言葉を巧みにいなしながら、それでいて広大無辺な歌仙のエネルギーを生み出している。

自分は歌仙に詳しくないので、この本の歌仙がどのような出来なのか判断できないものの、とてもダイナミックな印象を受けていました。以下の長谷川氏のコメントが自分の受けた印象に一番近い。

僕は同時並行で他にいくつか歌仙を巻いているのですが、その中で、この歌仙は良く言えば自由自在、悪く言えば破天荒(笑)。(P.31)

三者三様の個性が言葉選びに出ていて、非常に面白いのです。

なるほど、他者と他者が偶然に導かれながら、その場で瞬発的に言葉を紡ぐことで生まれる面白さがあるのかと腹に落ちてくるのです。

「座」について、永田氏が以下のように述べている。

歌仙の醍醐味を語るほどには私の経験が十分であると思えないが、この数年の歌仙に参加して、常に「座」というものの存在が意識にはあった。歌仙の面白さは、一つには共同で一つの物語を作っていくところにあるだろう。そして、もう一つは、自分の前の連衆が生み出した言葉に、どのように反応するかという、その反応の瞬発力にかかているのかもしれない。(P.124)

まさに瞬発力に導かれて、思わず読む手が止まらなくなる一冊でした。

高校の教室との差を思う

国語科のことを言うなら、現代文で普段、扱う教室は「近代小説」である。つまり、基本的には「個」が問題となる文学であり、高校の教室における文学の授業では「近代的自我」を問題にすることも少なくない。指導書でもそう書いてあったりもするしね。

長谷川氏の以下の言葉にもそういう近代文学と歌仙の違いが述べられている。

俳句や歌仙を「座の文芸」と呼ぶことがある。(中略)歌仙の場合、参加する連衆が「私」を捨て去って、次々に別の人物を演じる。そこに(中略)祝祭の空間「宴」が出現することをいうのだ。

日本人がヨーロッパから学んだ近代文学が「私」に固執する文学であるなら、連衆が「私」をすてて別の人になりきる歌仙はその対極にある文学ということになるだろう。(P.270)

違う路線の文学なのだなぁ。

もちろん、そんなに簡単に単純化できる話ではないのですが、普段の授業との違いもやっぱり面白いなぁと思うのです。

授業で扱えるテーマなのだろうか。ある意味、「私」を問題にしている文学であれば、自分でじっくりと考えて、自分の考えを他人と共有して……ということで確信に迫ることもできそうである。

でも、歌仙のような面白さがそういうアプローチで上手く行く……気があまりしないのは何だろう。

逆に、面白ければいいじゃんっと、振り切ってその場に参加するような、そういう遊び心のある活動のほうが近づけそうな気がするけど……。

活動あって学びなしと怒られそうかな、うん、分からん。

韻文に慣れていなくても

本書は韻文に読み慣れてなくても全く問題ないです。歌仙が作られる過程についての解説が非常に分かりやすい。

推敲の過程も書かれているので、言葉選びの妙を楽しむこともできる。

気軽に、おつまみを食べるような気持ちで読めるのです。

ぜひ、読むときには美味しいお酒を近くにおいておくことをおススメします。お酒が欲しくなる「宴」の空間が凝縮されています。

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