最近、色々なところで「哲学対話」の話を聞くようになっています。それは、おそらく苫野先生が「本質看取」や「超ディベート」を提案されていることもあって、「哲学的に何かを話し合う」ということの面白さが少しずつ広がっていることもあるからではないかと思う。
それよりも早い時点で、地道に学校や社会の中でじわりと広がっている「哲学対話」がある。今回紹介するこの『僕らの世界を作りかえる哲学の授業』は、本の帯に書いてあるような派手な効能はないけれども、確実に、ゆっくりと丁寧に積み重なってきた「哲学対話」のよさが分かるような一冊である。
あすこま先生が先にレビューを書いているので、詳細な内容はそちらをどうぞ。
この記事では、内容から広げていって、自分が感じたことを書こうと思います。
余裕のない世界に余裕を
なるほどなあ。土屋先生が実践者だからこそ、こういう哲学の場の雰囲気が伝わってきて、場で何が大切かの勘所が分かるような本になっているんだなあ。焦らないこと、急がないこと、そういう余裕のある雰囲気が文章からも伝わってくる。『まいにち哲学カレンダー』買います。
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年8月14日
この本を読んで一番強く感じるのが、「対話しようとする人への温かいまなざし」である。「フィロソファー・イン・レジデンス*1」を自称し、学校のなかに「哲学対話」の土壌を育てている実践に挑戦されている著者だけあって、焦りも気負いもなく、温かく「これからの実践者」への言葉が書かれている。
学校にいると、すぐに成果が出ること、分かりやすく成果が出ることが求められがちであるし、何か新しいことを始めようとして周りに説明しようとしたら、分かりやすくてすぐに実践できるようなことでないと受け入れられないような空気はある。何といっても忙しさのせいで余裕はないから。
しかし、あくせくとした現場の雰囲気を解きほぐすかのように、「哲学対話」の一つ一つの取り組みの意図を説明してくれている。本書を読むと「ああ、哲学対話をやってみることで、もっと学校を心地よい空間にしたいなあ」と思わされるのである。
あすこま先生が「学校を作りかえるかもしれない」というのがよく分かる。それでいて、著者が安易な変化でよしとしないで、さらに一歩、ゆっくりと一歩先へ…という慎み深さを感じさせる挑戦を述べているのも非常に刺激的。
哲学対話を追体験する
本書は六章構成であるが、五章までは実践や取り組みの歴史の説明である。ノウハウについてはほぼ書いていないと言ってよい。
明日からすぐにでも実践したいというのであれば、例えば
などのほうが、具体的である*2。
だからといってこの本が実践的ではないかと言えば、逆である。むしろ、第一章から丁寧に「哲学対話」の持つ世界観に入る込めるようになっており、一つ一つの実践や哲学対話の歴史を読み解いていくことで、自分自身が哲学対話の世界に足を踏み入れたかのような高揚感を持つことができる。
一冊を読み通すと、明日から自分が哲学対話をやりたくなる。授業ではなく、自分が(笑)。
まあ…なかなかチャンスを得るのが難しい気がしているのですが……。
せめて気分だけでも味わいたいので、本書の中で紹介されていたひめくりカレンダーを買います(笑)。
問われていることは
「哲学対話」に注目が集まり背景に、アクティブ・ラーニングに象徴される新学習指導要領による高校教育の改善があることは本書にも書かれている通りである。まあ、現場はいつでも真摯にあくせくしています。
こうして「哲学対話」という方法に注目が集まり、実践が増えていくことよって、「方法」だけでは立ち行かなくなるということを実感することになるのではないかと感じる。
根本的に「哲学対話」は方法論ではない。本書の中でも「ただのおしゃべり」と「哲学対話」の違いや「哲学」という言葉の持つ重さを説明していましたが、それと同じように、今、学校が直面している課題は、「どうあろうか」という問いであるのではないかと感じるのです。
文化を一から積み重ねる。自分の学校の風土を耕していく。
そういう地道でゆっくりとして焦ってはいけない取り組みに、粘り強く取り組むことが、それでいて面白くてやめられないような、そういうことが必要になっているのだと考えさせられます。
*1:参考:http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/philos/PIR.pdf
*2:この本は本当に授業しようというときに分かりやすい。自分もこの本が出たばかりの頃に試しにやってみましたが、初めてでもそれなりの形になりました。