こんなことを思っていた。
なぜ、学校とベネッセが切り離せないかといえば、ベネッセが学校のニーズに次々と応えてくれるからに他ならない。教材もサービスもそうだし、今ないサービスについてもマメに営業さんが御用聞きに来て、自社のサービスの組み合わせや活用事例で解決策を提案してくれる。そのメリットは大きい。
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年12月12日
学校に、意外と私企業がたくさんくることは、学校の外の人に知られていいと思うの。教育に関わろうとしている企業は多い。もちろん、営利目的で。ただ、その営利目的が、食い物にすることに直結はしてないのですよ。今時、一方的な搾取で儲けようという企業はない。学校も企業もしたたかであろう。
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年12月13日
マクロとミクロ
ベネッセに限らず、学校で働いていると色々な企業の方と関わることになる。おそらく、外から見えること以上に色々な付き合いがある。
この辺りの事情は自分も、ここ数年に行事などの企画運営に関わるようになってきて気付くようになったことだ。
本当、普通の企業の人はしっかりしているんだなぁと、何度も思わされたことがある(教員と話すと失礼な対応されることが多いという印象の裏返しとして)。
どんな担当者も自分の関わる範囲を良くしようと真摯に向き合ってくれていることは分かる。たぶん、割りに合わない無茶もだいぶお願いすることが多いのだが、それでもお付き合いくださってくれることが多い。
一方で、企業全体となると話がややこしくなることが多い。今の入試改革の話も含めて。
本質的に企業のサービスを利用することは、対価を払うことになる。だから、学校が便利だと思って次々とそういうサービスを入れてしまうと、家庭からどんどんお金が流れていくことにもなってしまう。
あまり依存しすぎるのも問題なのであるが、営業さんの提案も上手いし(笑)、ちゃんと子どもたちを良くしようという思いのあるものは、やはり良いもののように写る。
局所的に考えていれば、どんどん良いものはやればいいのだろうけど、巨視的に考えればそれは依存である。
なかなかバランスも難しいものである。
企業だからといってバカにはできない。例えばリクルートの「キャリアガイダンス」などは、なかなか真似できないクオリティのある、実践集である。
これを作るためにどれだけのコストをかけて取材しているんだろうかと思うと、そこに誠実さは感じる。
もちろん、それが自分たちの利益になるからであるだろう。その利益になるということを、食い物にされると感じてしまうのだろうか。難しいところである。
したたかに
依存はダメでも否定はできない。
したたかに付き合うものなのだろう。
ただ、本質的には、学校に十分な金と時間があれば、依存度は減らせるのである。
それが難しい以上は、したたかになりたいものである。