ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

爆弾が飛んできた

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スルーなど出来るはずもなく…

note.com

文科省が公式の場で、こういう言い方をするのか。どういう折衝が行われているのだろう?まさか、独断専行ではないでしょう?

あまりに強烈

コメントを見ていると、どれもあまりに強烈である。特に辛辣なのが次の言葉。

"やろうとしないということが一番子供に対して罪だと、私は思います。"

おっしゃる通りでございます。

とても言わんとすることは分かります。学校の外側から見れば、これだけ世の中がテレワークで動こうというときに、何とか手を替え品を替えて、学校に子どもを呼び出そうという姿勢が、どの学校にも多かれ少なかれ見え隠れするだけに、余計に、学校のICTの敬遠っぷりが目についてしまう。

確かに、色々とセキュリティ関係だとかで怖いこともあるのだが、それでも文科省から「何とか配慮しながら積極的にICTでやれ」という話が通知で出ているのに、「セキュリティが怖いから無理だろ」って議論を延々と繰り返しているという話を、身近でも身近でないところでも何度も聞くくらいに、ICTを使わないで済ませようという圧の強さを感じている。

そういう「圧」に対して、真正面を切ってケンカをふっかけるような言葉を投げつけるとは、思いよらなかった。

"本当にできること、使えるものは何でも使って、できることから、できる人から、既存のルールに捉われず、臨機応変に何でも取り組んでおられますか?"

「出来ない人がいると不公平だからやらない」って、何度聞かされたことか。

子どもに差がついてしまうのは確かに思うところはあるのだが、成功への道筋を作った上で、どんどん戦線を広げていくという戦い方もあるはずなのに、基本的に学校の取ろうとする路線は籠城ばかり。

こうやって批判されても止むなしだと思うし、よく言ってくれたという気持ちはある。

反動はどうなる?

キツい言葉は、回り回って、自分たちに跳ね返ってくるような不安もある。ここで恥をかかされた人が、別のところで復讐に走るのではないかという不安もある。例えば、

今危機的な状況ですから、臨機応変な対応が求められます。

のような言葉に対して揚げ足を取るように「緊急時ではないからICTは使うな」という締め付けに転化しないとどうして言えるだろう?

現場の先生だって、決して一枚岩ではない。

自分はICTと深くどっぷり関わってしまってきているから、ここぞとばかりにどさくさに紛れて色々なことをやっているけど、ここで思い通りにならないで嫌な思いをしている人からは、やはり協力を得ることが難しくなってしまう。

恥をかかされたことをきれいさっぱり忘れるような聖人は世には珍しいのだ。

やると決まればやる

現場に目を向けよう。

多くの先生たちは、授業がないことに、生徒がいないことに、だんだんフラストレーションを溜めている。

だから、方針さえ決まれて、苦手なことであっても、最後は手を出して挑んでいくだろう。

問題は「やると決まれば」であって、自分で「やると決める」ではないところだが……それは、メンタリティーの問題もあるけれども、組織としてがんじがらめになっていて動けないという側面もあって、一概に非難はしにくい。

でも、非常時だからこそ、「もうやるしかない」という決断がしやすくなっているとは思いたい。

これから挑戦しようとする人に、障壁が減っていくことを願います。そして、出遅れた人にも訴求するようなワクワクするような何かが生まれることを祈っている。

自分も一プレーヤーとして、そういう場に身を投じていくことになるわけだけど。

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