七転八倒していたが、今の生徒との高校生活も半分が過ぎた。
手応えはなくても
これまで送り出した卒業生の到達しているところを見てしまっているだけに、ゼロから始めていると牛歩でなかなか進まないもどかしさを感じているが、ここに来て生徒の様子を見ていると、だいぶ楽しくなってきた。
なんとなく伴走をしながら進めてきたけど、少しずつ手が離れてきたような感じがする。
色々なことを教えて話し、やってみせるということを積み重ねてきたけど、今この段階となって、手が離れたような感じがある。
「何か手伝おうか?」と声をかけても、とりあえず自分のノートに向き合って、何度もカリカリとノートに書いたり消したりしているのは、よい空気である。
静かな緊張感のある教室……話し合ってばかりだとなかなか現れない緊張感である。
振る舞いが自然に
生徒の授業の様子を見ていると、例えば資料を眺めたり、例えばノートを書き直したり、例えば誰かに声をかけたり…という、自分の考えをまとめていこうという時の振る舞いが非常に自然になっている。
どう振る舞えば、効果的に自分の考えを深められるのかという態度になってきている。
なかなか、集団として育っていない状態だと、仲良しでずっと話しているだけで、内容が深まるかどうかという観点での誰かに声かけたりということは見られないし、自分の身の回りにあるお手軽に手に入る資料でばかり考えて、自分から何かを探そうということはしない。
少しずつ、「こうやってやりなさい」という指示をし続けて、ある意味で行動を強制し続けてきたことで、「こういう時にはどうすればよいか」という振る舞いが、無意識に自然になっているように感じるのである。
まだまだ、「正解」を探すようなことをしてしまいがちで、「間違っていると嫌だなぁ…」という二の足を踏む様子も見られるので、もっと「仮説とは何度も棄却されていくもの」というような気持ちになって欲しいなと思うのである。
こだわりを持って欲しい
生徒の成長のために、潤沢に手渡すべきは「時間」である。
だんだんと、資料の使い方や問いの立て方や検証の仕方と言うことが自然な振る舞いになってきているだけに、「時間」を十分に用意してあげることが必要だと思う。そのために、どうやっててびきを提示するか……が難しいところ。
初心に戻ってやっぱり大村はま。
見れば見るほど、てびきの細かい狙いや作り込まれ方が分かる……こんな手引き作れん。
自分のてびきをどうするかを考える一方で、生徒にも与えられた時間の中で、そして授業の外にまで引っかかってしまうような、そういうこだわりを持って欲しいなと思うのである。
気づいたらいつでも考えているような……そんな習慣が当たり前になるような、身体性を身につけて欲しいのである。