連休の中日です。明日は仕事なので今日は読める本を読み、進めるべき仕事を進めて、時間を使いました。
昨日も紹介したけど、この本を読みました。
活き活きとした学びの姿を求めて
本書で語られる実践は、このテーマで名前を聞いたことがあるような実践者の丁寧な記録であるので、読んでいて活き活きとした教室の姿が浮かび上がってくる。
個人的には校種が違うとはいえ、QFTの実践が気になりました。
「質問の焦点を作ることに苦心する」などのコメントは思わずうなずきながら読んでいます。
教室にいる人たちの自然体な姿を大切にしながら、学びとして教室を紡いでいく姿にやっぱり「学ぶことは良いものだなぁ…」などと思うのである。こうして紙面に出てくる実践の手前にある日々の授業の丁寧な学習者との向き合い方まで見えてくるようで、そういう誠実な実践をする人がいるのだという事実にも色々と気持ちを癒やされるのである。
この「探究」というテーマであれば必ずついてまわるのが「這いずり回る経験主義」という言葉であるけど、その「這いずり回る」と揶揄される姿と紙一重なところにある、学習者に付き合っていく姿勢を思わずにはいられないのだ。
高校の教科における探究の可能性
一口に「高校」と言っても、高校入試の影響もあってかなり実情には差があるものである。
進学を中心に考える高校では、探究は入試には関係しないからという理由でだいぶ扱いが軽くされてしまいやすいし、逆に進路多様校であると探究が切実に必要になる文脈が存在する場合もあり、学校間で全く事情や探究に対するポリシーも異なる。
その意味では今号の実践では、定時制の国語科の実践が紹介されているが、これはなかなか注目したいことが多い。実践の可能性として魅力的だし、きっとちゃんとカリキュラムを考えて、工夫していけば普通科の教室でも同じような願いに支えられた大がかりな実践も実現できるように思う。
ただ、一方で、普通科の教科の授業が細切れな現実にも色々と思うことがある。
自分は現代文の担当だが、現在の勤務校の時間配当だと、ほとんどの場合、週に2時間で授業をしている。週2の授業だと祝日が入ってくると2週間くらい授業が無いこともまま起こるし、そもそも話が細切れになって、なかなか息の長い実践とは難しい。授業を5コマも使うと半月以上経ってしまうのである。
だからこそ、自分が授業で、一年間でどのような見立てで教室を育てていきたいのかということを考えて、カリキュラムを考えなければならないと強く思う(そう考えると、模試がちょくちょく入ってきて、その対策に追われるのもそれこそ「這いずり回る」ようで面白くはない)。
こういう状況だから、本気で探究を実現したいと思うのであれば、一人で出来る実践はないのだろうと思う。生徒に粘り強く考えることを期待するならば、科目を横断して同じビジョンに向かって探究的な学びを、合教科的に進めないと厳しいように思う。
大人同士の間で探究的な学びに対するコンセンサスがちゃんとあるわけではない。
きっと、これから直面してちゃんと考えなければいけないことになるのだろう。