一年の終わりも近くなると、生徒の活動も安定してきていると感じます。
教室を一斉に感じ取る
生徒が一斉に話し合うときには、授業者は話し合いの様子をしっかりと見取る必要がある。聖徳太子ではないので実際に生徒が一斉に話し合っている間に全員の話を全部聞き取ることは無理である。
だから、必要があればそれぞれのグループにボイスレコーダーを置いて話の様子を記録するという手法をとることもあるが、個人的な経験談としては録音してもあまり聞き返さない感じはする。いかんせん、30分の話し合いの記録を確認するとしたら2倍速でも15分くらいかかる。それをグループの数だけ聞き返すというのは……時間と得られるものが釣り合わない感じがある。研究授業など詳細な分析が必要なときは手間をかけることもあるが、普段からはそこまではやりきれないのが現実である。
では、普段の授業の指導はどうするのかと言えば……考えるんじゃない!感じるんだ!!という根性論を振り回してみる。
こういうことを言うと、「教育は教員の主観でテキトーに行われていてどうしようもない」というお叱りを受けそうであるが、授業を毎日こなしていると、肌感覚として教室全体の様子に気を回せるようにはなってくる。
細かい把握は無理なのは事実なのだけど、全体をぼんやりと捉えることでその時々に支援が必要なグループや生徒がどこにいるのかと言うことを把握することはできる感じがする。
個人的にはそういう教室の雰囲気の変化や歪みを、他の生徒と話していたり手控えを書いていたりするときでも、感じ取れるような感覚は大切だと思っているし、毎日、教室で授業をしているから磨かれる感覚はあると感じる。
手控えは手軽に多面的に
一方で授業を通じて生徒の学びをきちんと保証するためには、生徒の評価を記録することは欠かせない。もちろん、評価は生徒を順位づけるものではなく、生徒の成長具合を判断するための形成的な評価である。
自分もこの記録の仕方については色々と困っている。やっぱり限られた時間で、生徒のことをちゃんと記録して、適切な支援をしようと思うと、何でもかんでも記録を取ろうとすると評価できる生徒の数が限られてしまうし、評価に集中してしまうと教室全体の雰囲気の変化を感じ取ることが鈍くなってしまうのである。
教室のパソコンを持ち込めるようになって、記録を取ることはだいぶ楽になったと言うのが自分の感覚であるが、それでも残せる情報には限りがある。
色々と試行錯誤をしているところではある。例えば、グループごとにルーブリックを参照しながら評価の文言を書いていくという方法を使うときもあれば、生徒の発言をメモしていくようなこともある。もしくは一人一人については深入りしないで、各グループの全体的な様子を記録したりすることもある。
事実を淡々と書くこともあれば、自分の主観的な判断を書くこともあるし、今後に与えるべき支援のアイデアを書くこともある。
まあ、要するに何を書くかについては安定していないのである。
雑多なことを時系列になるようにだけは気をつけて書いている感じです。
本当は一人一人スプレッドシートなんかで個人個人のカンファランスの記録を残すべきなのだろうけど…。
厳密にやろうとすると、苦しくなるので色々な情報を組み合わせて、後から総合的に眺めると言うのが、現実的な運用であると感じている。生徒に書いてもらっているものを読み、そこから記録を取ることもある。
生徒のことをちゃんと記録を取るとはどう言うことなのかといつも迷うのである。