ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

名も無い小さな技術たち

活動の多い授業をやっているので、細々としたところで生徒の活動を支援するための工夫をしている。

※余談だが、あまりファシリテーションとは言いたくないんですよね。授業なのであくまで明確に指導している意識があります。

どこに立つか

生徒の活動をしているときに、どこにいるか?ということも微妙に活動に影響を与える。

机間指導でぐるぐると回っているのもいいのだけど、意外と教室には荷物が多いので歩き回るのには気を遣うし、生徒にとっても近くに来られるのが嫌なときも少なからずある。

じゃあ、教壇の上でジッとしていれば…という発想もあるが、生徒の活動を高いところから見下ろしているのも何だか威圧感があって嫌な感じである。

なかなかどこにいるかという問題は難しい。

個人的な好みとしては、教室の後ろの方で姿と気配を消していることが多い。どうしても指導を介入しなければいけないことがあるときには机間指導でぐるぐると回るのですが、基本的には姿を見せないのがよいとは思っている。

あと、後ろから見た方が生徒が何をしているかが見取りやすいのですよね。角度的に。ノートに書いてあることやどのページを見ているかなどは、後ろからだとざっとつかみやすい。

話し合いをどう見守るか

生徒の話し合いを複数グループで展開しているときには、もちろん全グループの話し合いの詳細を把握することは不可能である。

ボイスレコーダーなどで録音するという手もあるのだが、それなりの値段のボイスレコーダーでないと、教室の話し合いを録音するにはやや性能が足りない。

 

 

あと録音しても聞いている暇はない(笑)。だって、10分だとしても6グループあれば1時間かかりますからね。なかなかそれを聞いて分析するのは厳しい。どうしても必要な時にはやるのだが、日常の授業でそれは厳しい。

では、話し合いをどう見守るのがよいのか。

いっそのこと、生徒の話し合いの輪の中に自分も入ってしまうのがよい。自分の椅子を持ってきて、グループに入り込んでしまうのがよいだろう。

もちろん、特定のグループにはいながらも、意識は教室全体に向け続けておくことは必要である。ただ、それは全てを聞こうとするというよりは、声色や目で見えてくる姿など、全体的な雰囲気を感じ取るという塩梅である。

姿を見せなくても

根本的に大切にしていることは、教員の姿が見えなくても自分たちの活動は自分たちでコントロールしているという雰囲気になっていることが大切なのだ。

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